今日まで生きて来れました

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 何時でしたでしょうか、牧師研修会に参加していた時に、大浴場に入っていました。顔馴染みの牧師さんが、湯船の中におられて、顔を見て挨拶を交わして、しばらくしましたら、『廣田さんは以前はヤクザだったんですか?』と、真剣な顔で聞かれたことがあったのです。まあヤクザのような罪人だったことには、間違いありませんし、ヤクザ予備軍だったかも知れません。でも極道の世界に入らずに、生きて来れました。

 なぜそんなことを聞かれたのかと言いますと、わたしの腹部に、けっこう大きな〈刀傷?〉があって、ミミズ腫れしているように見えたのでしょうか。何時もは隠して、公衆浴場や温泉に入るのですが、この方が、後ろからでしょうか、もろに傷跡を見られて、黙っていられなかったのでしょう。

 39才の時でした。腎臓を病んでいたすぐ上の兄が、1リットルほどの透析用液体を腹膜に入れて、一日四回ほど入れ替える「灌流式透析」で、体の負担が大きく、脱腸を起こしていて、血液透析に変えなければならない時期にありました。血液型が、長兄と次兄とわたしが同じで、腎臓移植を考え始めたのです。そんな中、家内が承諾してくれたので、わたしが donor になって、手術に臨んだのです。

 次男がまだ3才でした。初めて遺書を書きました。無事に手術を終え、兄の体で、移植した腎臓が動き出し、尿意が戻ったのだそうです。今年、81才になった次兄は元気でおります。その移植手術の話が、牧師仲間に広がって、岡山県にある長島曙教会の愛兄姉が聞かれて、みなさんが、献金をしてくださったことがありました。

 詩人で牧師の河野進師から、お便り(現金書留でした)をいただいたのが、もう40年近く前になるでしょうか。瀬戸内海の大島と言う所に、ハンセン氏病を病まれた方の療養所があって、そこにある曙教会からの献金でした。それを託された河野進牧師さんが、お手紙を添えてお送りくださったのです。

 政府からのわずかな手当の中から、教会のみなさんが捧げてくださったのです。《聖なる戦慄》と言ったらいいのでしょうか、社会の中で孤立し、差別され、隔離さてている、辛い経験をされてきて、福音の触れて、信仰を持たれた方が、感動してくださって、愛をお示しくださって、仰天し感謝したのです。

 昔は、この病に罹ると、『汚れもんが通ります。汚れもんが通ります!』と言いながら、公の道の隅に寄って、逃げるようにして通行していたのだそうです。差別や区別を受けながら、親にも友にも社会にも見捨てられていたのです。そのように病む人に、

『イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」(マルコ141節)』

 そう言われたのです。多くの人の病も、過去も癒し、治し、回復されるお方がです。わたしの過去も、罪も、悪癖も、イエス・キリストは、癒してくださったのです。同じように救いを受けた人たちを励まされて、今日まで、わたしも生かされて来ました。

(「キリスト教クリップアート」のイラストです)

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