一匹の虫が

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 長くソ連の指導者であったスターリンの最後の様子を思い出すと、独裁者の末路というものが、権勢を思うままにし、大粛清を行った者の最後の姿が、当然と言えば当然、あまりにも惨めだと思ってしまうのです。

 独裁者の常で、暗殺に怯えたこの人は、クレムリンの中に、同じ形の寝室をいくつか持ち、どこで寝るかは、就寝直前に、自分で決めていました。枕を高くして眠れなかったのでしょう。1953年3月2日は、いつもと違っていました。なななか起きて来なかったのです。どこで寝るかを隠して、夜を怯えながら過ごし、癇癪持ちですから、眠りを妨げたら、どんな仕打ちをされるか恐れた側近は、寝坊と判断して、起こしませんでした。

 ところが、夜中に脳卒中を起こしていたのです。昨夜は、フルシチョフらと徹夜の夕食を摂って、就寝が遅かったこともあったそうです。もし早く起こして、処置が早かったら、助かったかも知れませんが、四日後の3月5日に、74才で死にました。ベッドの中で死んだのは、独裁者としては不幸中の幸いだったかも知れません。

 この人の死後、クレムリンに半旗が翻りました。すると、電話がクレムリンに入ったのです。その半旗を見た市民からです。『どうして半旗が掲げられているのですか?』と問うと、『スターリン閣下が死んだからです!』と答えたのです。同じような電話が、同じ人から何度も入って聞く度に、『スターリン閣下が死んだからです!』答えて、ゴウを煮やした係官が、『どうしてお前は何度も同じこと聞くのか?』と聞くと、『何度聞いても嬉しいからです!』と答えたと、そんな笑話が残っています。

 どの独裁者も同じなのですが、独裁者ヒットラーにも、暗殺計画が、何と42回もありました。ヒットラーに反対した告白教会の牧師のボンヘッファーが、その暗殺計画に、義兄との関わりの中で加担したのです。その計画は未遂に終わりました。残されたメンバーの日記の名簿の中に、ボンヘッファーの名があって、逮捕されます。

 組織神学を教えたボンヘッファーは、『汝殺すなかれ(「殺してはならない。(出エジプト2013節)」』を知っていました。その殺人という罪を、ボンへッファーは免れることになるのですが、1945年4月9日、フロッセンビュルク強制収容所で絞首で処刑されます。彼の著作の中に、「主に従う」がありますが、主のおことばに従い得たのは、神さまの憐みであったのだと、わたしは思っています。

 ウクライナにも、中国にも、日本にも、〈二十一世紀のボンへッファー〉がいるのでしょうか。独裁政権に、暴力によって対峙し、対決しようと考える信仰者や伝道者がいるのでしょうか。昨日、「使徒行伝(使徒の働き)」を読んでいましたら、次のようにありました。

 『定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。 そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。 するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。(使徒122123)』

 このヘロデは、アグリッパー一世のことで、イエスさまの弟子のヤコブを殺害し、ペテロを殺害しようとしたのですが、み使いの介入で、ペテロはその難を逃れ、奇跡的に牢から脱出しています。教会を迫害した殺人者の最後を、「虫にかまれて」絶命したと、聖書は記録して伝えています。

 いのちの付与と収奪の権威を持たれる神さまは、人に殺人を禁じておいでです。どんな悪人でも殺人者でも独裁者、殺すことを許されません。でも、「一匹の虫」がかむのは許されるのです。でも、どう言い訳しても、人を殺してはなりません。神を畏れずにはおられない、わたしたちなのです。

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