二十一世紀の今でも

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 ある文学作品に登場する女性の出身地が、栃木県の河内郡の寒村だと記録されていて、わたしが住み始めた県の県庁所在地、宇都宮の北にあった農村で、今は宇都宮市に併合されています。大東亜戦争のさなか、農村がどんな経済状態だったかをうかがい知ることができます。土地を持たない小作農は、国全体が貧しい時代でも、最も貧しかったからです。

 そんな貧しい農家に生まれた女子を、借金の形にして、お金を借りなければ生きていけない時代だったようです。この女性も同じで、結局は苦海に身を沈めるのです。でも利発で明るくて、自分の境遇にめメソメソせずに、帝都東京の隅田川のたもとで生きていたのです。

 時代は、日本が「五族共和」を掲げて、満洲国を建国して、大東亜共栄圏を押し広げ、アジア制覇の野心が剥き出しにしていたのです。日華事変が勃発し、国際連盟を脱退し、米英との戦いが始まろうとしていたころの農村出身の一人の女性の姿が描かれている作品でした。

 その作品に登場する女性が、母の世代の女性であること、母の境遇に重ね合わせてみると、紙一重で、身を落とすことなく、母が生きられたことを考えてしまうのです。台湾に売られそうになるのを、すんでのところで警察に保護されて、危機を免れたわけです。

 先週、インドと同じ〈カースト制〉のあるネパールで、低い身分の女の子が人身売買で売られているというお話を聞きました。21世紀の世界の片隅に、そんなことのあるのに驚ろかされたのです。そう言った子どもたちを救出し、教育を受けさせ、自活の道を切り開くために、働いているキリスト教会の団体があるのを知りました。

 こんな人の世の現実に、聖書の教会も目を閉じていないのです。令和の代(よ)、家出や怠業で東京の繁華街に出て来る〈JK(女子高校生)〉に魔手をのばして、犯罪の中に引きずり込んで、金儲けを企む男たちがいるのです。そんな現実に、目を光らせて、わたしの弟は長く救出活動に関わり続けきています。
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 旧約聖書に、ラバブという女性が登場します。エリコに住む、「異教の女」に目を向けてみましょう。

 『ヌンの子ヨシュアは、シティムからひそかにふたりの者を斥候として遣わして、言った。「行って、あの地とエリコを偵察しなさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。 (ヨシュア21節)・・・エリコの王はラハブのところに人をやって言った。「あなたのところに来て、あなたの家に入った者たちを連れ出しなさい。その者たちは、この地のすべてを探るために来たのだから(v3)・・・そこで、ラハブは綱で彼らを窓からつり降ろした。彼女の家は城壁の中に建て込まれていて、彼女はその城壁の中に住んでいたからである。v 15)・・・ラハブは言った。「おことばどおりにいたしましょう。」こうして、彼女は彼らを送り出したので、彼らは去った。そして彼女は窓に赤いひもを結んだ。(v21)』

 このようにして、ラハブは、イスラエルの民の斥候たちを匿い、逃がし、その使命を成功させたのです。このラハブは「遊女」だと特記しています。そして、

 『同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか。(ヘブル225節)』

 遊女が、その神の民を助けたことによって、「義と認められた」とあります。どんなことをしていた人でも、神のみ旨の中を生きるなら、「義」とされるのです。そればかりではないのです。

 『サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ(マタイ156節)・・・ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。(v16)』

 これは、救い主イエスさまが誕生された家系図です。なんと遊女ラハブ、ダビデの姦淫の相手ウリヤの妻(バテシバ)までも、救い主を生み出す母胎に選ばれているではありませんか。驚くほどの《神の謙遜》です。人がどんな背景にいたとしても、「救われる」のです。驚くべき「神の選び」ではないでしょうか。

(現在の「上河内」の位置、キリスト教クリップアートの「ラハブ」です)

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