感心していることがあります。13年の留守の間に、忘れていた感触を、栃木に借りたアパートの一室で、実に懐かしく楽しんでいます。小学校の友人の家が畳屋さんで、彼のお父さんのしている作業を、座り込んでジイーッと眺めていたことがあります。右利きでしたので、母が持っていないような大きな針に、これも見たことのないような太めの糸を通して、肘を使って締め上げて、上手に作業をしていました。
あの時と同じように、伝統的な仕事をしたであろう、畳が、この一部屋に敷いてあるのです。稲藁の畳床にい草の畳表で覆ってあるのに、丈夫なのです。その上に立って、窓から東を見ますと、筑波山が遠望できるのです。寝そべった時や、裸足で踏んだ感触は、なんとも言えずに懐かしさが蘇ってきて、父の家で、兄や弟たちと相撲をしたり、喧嘩してすり減らした畳を思い出すのです。
その畳のある部屋に住んで、3年半が経ちます。しかし、畳表を替えてあった青々としていたのですが、経年ででしょう、その色は薄れてしまいました。わたしが蚊取り線香を落として、ちょっとした焦げ目がついてある以外に、ほとんど擦れていないです。
その丈夫さ、持ちのよさに、今さらながら驚かれされております。日本と言う風土に中で長く育まれた生活様式、道具などには、極めて優れた技能や工夫がみられるのです。この生活している畳部屋に、もし障子や襖があったら、その趣きは倍加するのではないでしょうか。
自転車ですが、スーパーや Do it yourself 店で買う物は、安いのですが壊れやすく、国産品は高いのですが、良品なのです。もう価格競争に勝てなくて販売戦線から離脱してる現況ですが、丈夫で長持ちします。どちらを使うかは個々の決定です。でも、やはり良質な物、真価が試されている物。長らく使われているものは、それなりの支持があるようです。
風呂桶にしても、檜の桶などは、もう贅沢品で庶民の手には届きようにありませんし、価値を認める人も多くなくなってきています。父が、風呂に入って髭剃りをすると、その剃刀(かみそり)を、ガラスのコップの中においで、指を動かしながら研いでいました。ああやって物を大切に使い続けたのです。それが生活の知恵でしょうか、昔ながらの物、考え、決まりがあって、物を大切に使う生き方があったわけです。
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