健康管理に、「散歩」を勧められて、それを実行しています。ある距離を強く速く歩き、その後、ゆっくりと漫歩する、これを繰り返すのが、一番好い散歩術なのだそうです。これは散歩道ではありませんが、中国と中近東にかけて、人や物や文化が往来した「絹の道」がありました。
その道をたどって日本にたどり着いた物が、「正倉院」に収められていると、日本の歴史で学んだことがありました。時と人は過ぎ去りましたが、物言わぬ物は、数千年の歴史の中にあり続けていることになります。
「道」と言えば、日本には、「日本の道百選」と言われる道が、各都道具県に2〜4つほどづつ選ばれています。1987年に、当時の建設省と「日本の道100選」選定委員会によって選ばれています。何年か前に、札幌に出掛けて、そこにあった「札幌大通〜札幌の憩いの場〜」も、私の子ども頃に遊んだ「旧甲州街道〜宿場町の面影を残す道〜」も、私の祖先が馬上凛々しく参内のために歩んだ「若宮大路〜鎌倉の歴史ある道」も選ばれています。
その他に、「哲学の道〜思索にふける道〜」と、呼ばれているものもあります。次の様に、この道が解説されています。
「京都・東山の麓に哲学の道と呼ばれる絶好の散策スポットがあります。南は永観堂の北東方向の若王子神社あたりから始まり、北は銀閣寺まで続く疎水に沿った散歩道です。京都疎水は明治時代の京都の一大事業として作られた人工の水路です。南禅寺の水路閣も疎水の水を流すために作られたものです。哲学の道に流れている疎水は大津で取水されたあと長いトンネルを経て蹴上(けあげ)に到達します。蹴上から分水して北上する疎水が南禅寺水路閣を経て哲学の道に流れています。哲学の道は、疎水の西側に散歩用の石畳が敷かれ、日本の道百選にも選ばれている散歩には最適の道です。右の航空写真で見ると哲学の道の部分が緑の線として見えます。住宅地の中を緑の絨毯が敷かれているようです。」
多くの哲学者が、哲学しながら歩いたのだそうですが、それは、「善の研究」を著した西田幾多郎の京都時代の散歩道だったそうです。彼の弟子の田辺元、三木清らは、師に倣って、同じ道を辿ったので知られています。幾多郎は、こんな和歌を詠んでいます。
人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり
幾多郎は、石川県出身の「加賀の人」で、第四高等学校(現金沢大学です/中退)から東京帝国大学に進んで、哲学を専攻し、日本屈指の哲学者であります。哲学などとは無関係な私ですが、京都は魅惑的な街ですから、同じ道を思索しながら散歩をしてみたいな、と思うのです。はなから、思索など程遠く、美味しいラーメンやコーヒーやケーキのことを考えてしまいそうでなりません。
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そう言えば、京都の北になるでしょうか、大原に二年連続で、訪ねたことがありました。静かな村で、最初の訪問の夜には、小雪が舞っていたのです。その大原から、薪を頭の上にのせて、京都までの道を下って売りに出かけた「大原女(おはらめ)」のことを聞きました。村の道の駅や喫茶店に寄って、村の話を聞いたりしたのです。閉じ籠り症候の今日日、思い出すのは、旅の記憶ばかりです。
(秋の「哲学の道」と「大原女です)
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