「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 (エレミヤ29章11節)」
『〈今〉、〈金〉、〈自分〉のことしか考えない時代になってしまった!』と、購読のブログにありました。長い展望に立って、将来を見据えて、「今」を考えないといけないのにです。近視眼的な、物質的な、利己的な考え方や生き方に、この時代が傾斜してきているからですの戒めです。
若い頃に教えられたのは、『お金を稼ぎなさい。そして貯えなさい。それを神の栄光のために、それを必要とする時、場所、方法で用いなさい!』でした。「あらゆる悪の根(Ⅰテモテ6:10)」だと言われるお金が、義や善や愛のために使われると、驚くべき結果を生み出します。
私たちが会堂建設をした時、お金が与えられるのに応じて、資材を買っては、建設を続けていく、これを繰り返しました。14ヶ月の間に、当時1200万円ほどの建設資金が与えられ、竣工し、献堂されました。その資金に、宣教師の知人の寡婦の方は、大工さんが腰に吊るす釘袋を縫って売って得たお金を、忠実にアメリカから送金してくれた方がいました。大金ではありませんでしたが、重い意味のある会堂献金でした。
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「今」の生活に使うお金の中から、献げる決心をして取り分けての送金でした。聖書に出てくる「2レプタをささげた婦人(マルコ12:42)」を思い起こさせてくれた出来事でした。そう言った献金が、多くの教会の歴史の中で、世界宣教に用いられてきています。
「自分」のことではなく、異国の街に建ち上がる教会堂で、自分を救い、希望と将来を与えてくれた神さまが、異国の人々によって、自分と同じように、ほめたたえられ、栄光を受けることを、この方が願ったからです。世界中にある教会は、そう言った方法で会堂が与えられているのです。
自分の仕事を休んで、時間と労力を献げて、飛行機に乗って来て、材木を切り、削り、釘を打ち込んでくれた “ American carpenter “ 夫妻もいました。何の報酬も求めず、自分の仕事を終えて、黙って帰国されました。YMCAで英語を教えながら、惜しまず教会建設の奉仕に励まれたアメリカ人のご家族、仕事を辞めて、14ヶ月の間、建築の指揮に当たられた夫妻がいて、そこでお嬢さんも与えられた一級建築士もいました。
一人一人の心の中に、教会に主が与えてくださった「希望」がありました。教会堂建設中は、一人一人が取り扱われ、吟味され、人間的にも、信仰者としても、成長した時でした。もう一つあったのは、まだ経験していない「将来」でした。今も、その「将来」の中にあって、明日も「将来」の中にあります。子や孫が、信仰的な祝福を継承してくれたら、それは素晴らしいことであります。
「教会」は、建物を立てた人々や、建て上がった会堂に神礼拝にのために集い、助け合い励まし合い、隣人愛に生き、福音の宣教の業に携わる “ ekklēsia “ 人々の群れのことを言います。
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