ピカピカ

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 『戦場で味方の陣をこっそり抜け出して、敵陣に一番乗りで攻め入って立てた武功。転じて、人を出し抜いて立てた手柄や利益のこと。』を、「抜け駆けの功名」と言うと、[故事ことわざ辞典]にあります。

 すばしこくて、ずるい人の生き方を、そう言って揶揄するのですが、日吉丸(木下藤吉郎)が、主君の織田信長の草履を懐で暖めて、外出する主君の前に、サッと差し出した話を聞いたことがあります。誰もしないようなことをして、『サル!うい奴じゃ。』と愛顧され、主君を喜ばせ、褒められたのですから、天下取りをした豊臣秀吉は、抜きん出て優れていた人だったのです。

 それは抜け駆けではなく、主君に最善をしようとした、草履取りの主君愛だったのでしょう。『何に気付くか?』は、その人の生まれ持った特質なのでしょうか。親の生き方を見て、学びとって、そう言ったことができるのでしょうか。《人を喜ばせる才》を持って生きた人でした。

 父の客が、わが家に来られた時、私の弟は、その「藤吉郎」をしたのです。玄関に脱いで置かれた靴を、そっとだれも気付かない内に、ピカピカに磨き上げたのです。中学生の弟は、そう言ったことのできる子どもだったのです。そのお客さんは、綺麗になった靴を見て、目を丸くして驚いて、感謝と感心を、父に示していたのです。

 弟は、天下取りにはなりませんでしたが、《◯◯テツ》と呼ばれて、教え子に慕われ続けている教師をして来ました。彼の勤めた学校は、幼稚園から高校まであるのですが、幼稚園でも授業を担当していて、幼い子にも慕われていた教師でした。

 彼の高校では、卒業生は、市町村が行う式には参加しないで、学校で行う「成人式」を、卒業生の企画で続けているのです。卒業生は、校長でも理事長でも園長でもない、弟を、どの年度の卒業生たちもが、主賓講師に選んで、祝辞を話してもらうのだそうです。

 もう七十を過ぎているのですが、私の友人の奥さまがしている、「チャーチスクール」で、もう何年も何年も、週二日の講師をしているのです。わずかな生徒の学校で、交通費程度のお手当で、朝早く家を出て、電車を乗り継いで出勤し続けています。何百何千の教え子のいる彼が、一人、二人のスクールで教師をし続けているのです。

 弟ながら、彼の生き方に感心させられて、学ばさせられることが多いのです。今は、「ミニトマト」のベランダの鉢植え栽培の方法を教えられています。《一苗百個》だと励まされているところです。靴磨きの件ですが、私たちが天津の外国人アパートにいた時に、シアトルから来ていた若者が、家に食事にやって来ました。中国東北部を旅行して、目を輝かして旅行談を話をしてくれたのです。

 彼の履いていた靴は、ささくれ立っていました。それを見かねて、私は、靴クリームをつけて、ピカピカにはなりませんでしたが、磨いて上げたのです。ご両親が離婚していて、寂しそうな青年でした。そんな人生を好転させようとしたのでしょうか、語学学校で学んでいた留学生仲間でした。六十過ぎのお爺さんに磨かれた靴を見た彼の驚いた顔が、昨日のように思い出されて来ます。もう三十代後半の年齢になっているでしょうか。あれっきりです。

 

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