mentor

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 「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。(イザヤ96節)」

 新型コロナ騒動の今、人が求めているのは、《見通しある助言》ではないでしょうか。先が見えないトンネルに中にいて、必ず出口があるのですが、それが何時なのか、どんな方法で出口に導かれるかが不明なのが、人を不安に陥れています。

 若い頃に教えられたことは、《好い友》を持つこと、《善い助言者》を戴くことでした。人生の困難に出くわしたり、激しい誘惑にさらされるような時に、もう自分の力では抜け出せないような時に、なんでも話せて、裏切ることのない友や助言者がいたらどんなに助けになることでしょうか。置かれている状況を理解してくれ、共に立ってくれる友がいてくれたら、どんなに大きな力となることでしょうか。

 私を、8年もの間、伝道者として、人として育ててくださった方がいました。この方を、影や日向になって助けていた友がいました。外国での宣教をしていた彼のもとを時々訪ねて来て、交わりを持ち、経済的にも支えておられた方でした。何よりも 精神的な助けとなっておられた方です。

 このお二人のやりとりを見ていて、実に羨ましくなるような《友情》を感じていたのです。どんなに大きな支えであったかが分かったのです。ところが、メキシコで、教会のキャンプが行われていた時、湖で遊泳中に、その方が水難事故に遭われて亡くなられてしまったのです。その知らせを聞いた恩師は、憔悴し切っていました。どんなに互いに強固な友情で結び合わされていたか、その友を失うと言うことは大きな衝撃だったのです。

 この助言者を英語では、“ Mentor ” と言います。聖書の中に、アヒトフェルの助言が、「人が神のことばを伺って得ることばのようであった」とあります。ダビデに敵対する勢力に加担した人でしたが、生き方や、助言内容、人間観、職業観などに問題を持った人が、どんなに優れた助言者であっても、評価されません。この人は、自分の助言が受け入れないことを知って、故郷に帰って自殺して果てました。

 どんな人から、助言を求めるかが、重要です。私の恩師を、長く支えていたトムさんは、まさに恩師にとって ” mentor “ だったのです。この社会には、溢れるほどの助言者がいますが、〈だれに聞くか」は大切なことであります。キリストでいらっしゃるイエスさまは、「不思議な助言者」だと預言されています。聖書は、その「助言」のことばで溢れています。正しい価値観、人間観、死生観を持つ人の「助言」は、人を生かしてくれます。

 一番の “ mentor “ は、 “ No! “ と言ってくれる人に違いありません。私のような過ちの多い者に、たびたび “ No! “ と言って、正してくれた方でした。亡くなられて、もう20年なるでしょうか。

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