しあわせ

 


母親には「よもぎ餅(東京向島/墨堤地蔵坂上/志満ん草餅製)」、父親には「おとうさんいつもありがとう!せんべい(千葉野田関宿/喜八堂製)」、両親に「カステラ(福岡博多東光寺/福砂屋製」、「晩柑ジェリー天水/ななみかん工房製)」を持参した次男が、今日の午後、雨の中をやって来ました。

家内は、次男の顔を見るや、いっぺんに元気になってしまい、3時には、よもぎ餅にきな粉をつけて、美味しそうに食べていました。これは毎回持参してくれるのです。母親の病気に良い食べ物だそうで、これを届けに、わざわざ特急電車に乗って来てくれたのです。

昨日は、風邪で咳気味の母親のために「MANUKA HONEY(ニュージーランド原産天然蜂蜜)」を宅配便でよも届けてくれていました。先週は、自分が風邪気味で来れなかったので、今週は雨をついて激励に来てくれました。もう一つ、ドイツ製の「浄水ポット」も注文してくれ、今夕には宅配で届くそうです。

イスラエル人の間では、「あなたの父と母を敬え・・・それは、あなたの齢が長くなるため・・・与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。」と言い伝えられていて、これこそが民族の特徴と言えるのでしょうか。

そうでした。明日は「父の日」、母の日には「花束」を持参し、今回は父親に「せんべい」です。大好物の「きんつば」は、前々回に届けてくれました。彼が永らえ、幸せになることでしょう。長男は、ほとんど毎回、通院検査や治療にための送り迎えに、遠くからやって来てくれます。娘たちは、箱詰めの差し入れをしてくれ、また手伝いに来ようと満を持しています。

子育て中、子どもたちの〈工事中〉には色々とありましたが、大人になった今、一市民として、きちんと、それぞれの責任の中を生活をしていてくれるのは、言い得ない感謝であり、しあわせです。「せんべい」は、せっかくですから、第三日曜日の明日、家内の友人が送ってくれた〈日田羊羹〉 と〈鹿児島産の煎茶〉と一緒に、家内と食べることにしましょう。

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桑の実

 

 

もう何年経つでしょうか、隣町に事務所を借りていた頃に、よくやって来たおばあちゃんがいました。農家の方で、いつも和服をめしておいでした。懇意にして下さって、畑で採れたものなんかをよく持って来てくれました。ある時、「桑の実」を焼酎に漬けた果実酒をもって来てくれたのです。熟した桑の実が赤黒くお酒に溶け込んで、甘くて、『疲労回復にいいから!』と言って頂いたのです。

あれ以来飲んだことがあませんが、美味しく頂いたのだけはよく覚えています。子どもの頃、養蚕がまだ行われていたのですが、高台の畑には、桑が一面に植えられていました。あの桑の枝を、肥後刀で切り取って、〈チャンバラごっこ〉の刀を作るのです。皮がするりと剥けるので、刀で傷つけて、握り手だけに皮を残すのです。

それを腰のベルトにさして、侍になった気持ちで、斬り合いをするのです。その桑の木には〈ドドメ/私が育った東京のたま地区ではそう呼んでいました〉がなるのです。今の様に果物の種類や数に多くない時代、甘くて美味しい、この木の実は最高のオヤツでした。作詞が三木露風、作曲が山田耕筰の「赤とんぼ」の中で歌われています。

夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか

十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕焼小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

「山の畑の桑の実を小籠に摘んだ・・・」日々が、私にもあります。実際は、手から口へと直行型の摘み取りでしたが。今では〈幻の実〉になっていますから、現代っ子たちの知らない味覚なのでしょうか。長野県では、「桑の実」の農園があって、実際にこの時期には、収穫体験ができる様です。それでも、もう一度食べてみたいものです。

ジャムにしたり、飲用ににしたものがあるそうですが、やはり枝の付け根あたりにドドメ色になった実を、手でもいで頬張ってみる、あの野性味が懐かしく思い出されます。まさに〈ふるさとの味〉えなのです。中国の華南の街で、小さな平ケースに入れて売られていましたが、買ってみて食べましたが、ちょっと幼い日の味とは違っていた様でした。

([HP里山を歩こう]から配信下さった桑の実です)

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