「子規」と言えば、正岡子規(しき)ですが、そのペンネームの由来は、彼が結核に感染して、喀血をしたことから、自分を、鳥の「ホトトギス」になぞらえて命名したと言われています。
どうして「ホトトギス」なのかと言いますと、この鳥を、日本語では、杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、田鵑などと、漢字で表記したり、また異名を持っているのです。ホトトギスを見ますと、喉のところが、赤い色をしています。これについて、中国には、次の様な故事が残されています(ウイキぺディア)。
『ホトトギスの異称のうち「杜宇」「蜀魂」「不如帰」は、中国の故事や伝説にもとづく。長江流域に蜀という傾いた国(秦以前にあった古蜀)があり、そこに杜宇という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。=何よりも帰るのがいちばん)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。』
血の赤さに、ホトトギスの故事に重ねて、自分を「子規」と名乗ったわけです。かつての俳人や小説家が、どれほど、中国文学の造詣に深かったことを知って、驚かされます。子規の友人だった夏目漱石も、自分のペンネームを「漱石」にしています。その名の由来に、次の様な解説があります。
『中国西晋の時代、孫楚(そんそ)は、隠遁しようと決心して、友人の王済に「山奥で石を枕にし川の流れで口をすすごう」と言うべきところを「石で口をすすぎ、流れを枕にしよう」と言ってしまった。それを指摘されると「流れを枕にするのは、汚れた話を聞いた耳を洗うためで、石で口をすすぐのは歯を磨くためだ」と言い張った。』
夏目金之助は、頑固で屁理屈の多い人だったそうです。それで、自分を知っていた金之助は、この故事の「漱石枕流」から、自分を、「漱石」と呼んだのだそうです。明治の文人に比べ、昭和生まれの私は、「美しい日本語」に魅了されながらも、及びもつかない自分を知らされてしまいます。そう言えば、ここ北関東で、駅から5分ほどのところに住んでいて、ホトトギスの『ホーホケキョ!』を、六月なのに聞いていないのです。
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