2010年4月2日は、シンガポールの祝祭日で、仕事の休みの長女が、『自転車に乗りに行こう!』と、家内と私を誘い出してくれました。ヨンギ国際空港の裏手にある駐車場に車を止め、「ウビン島」との間を通う艀(はしけ)に乗り込んで、15分ほどで目的地に到着しました。
ちょうど島に着く頃に、雨が降り出してきたのです。急いで駆け込んだレストランは満員でした。数品を注文して待つこと小一時間、あまりにも遅いので、席を立とうとしたのですが、『それでも・・・』と話し合って間もなく、やっとテーブルに運ばれてきました。味は結構よかったので、きれいに3人で平らげてしまい、心の中の文句は消えてしまいました。
《一台一日5シンガポールドル》の自転車を3台借りて、ジャングルの中にこぎ出したのです。雨の上がった午後、結構涼しく感じられる中を、汗をかきながら起伏のある道を行くのですが、祭日の人気スポットでしたから、手放しで右左を見て行くことはできず、行き交う自転車を避けたり、譲ったりのサイクリングでした。
長女が1才の誕生日を迎えた旅行で、私たち家族(当時は長男が3歳で4人でした)は、家内の兄夫妻に誘われて、一緒にグアムを訪ねていました。私の母も同行していましたが。その時、過ごした島の様子と、ウビン島のジャングルがそっくりでした。匂いにも記憶があるのでしょうか、30数年前の匂いがしてきたので、いっぺんにタイムス・スリップをしたようでした。
家内は天津で乗っていた自転車を、知人に上げてしまってから、その日まで乗ることがありませんでしたから、3年半ぶりの自転車だったようです。いい運動をして、帰りには刺身を切り揃えてくれるレストランで、3種類ほどの刺身に海苔巻きの鮨を数点と味噌汁で夕食を済ませました。美味しく食べた私たちは、家に帰って、しばらくの交わりの後、シャワーを浴びて寝てしまいました。家内、私、そして長女の順でした。
翌朝、散歩に行こうと思って、5時半に起きました。寝しなに、帽子の中に家のカギと小銭とを入れて、机の上に置いて準備していたはずなのに、帽子が見あたらないのです。カギを締めてから出ないわけにいきませんので、20分ほど探したのですが、それでも見つかりませんでした。
それで、『昨日は、自転車に十分乗って疲れたこともあるし・・・!』と心に決めて、また布団に戻って寝てしまったのです。その時、何時も閉まっている長女の部屋の扉が空いていたので、『おゃっ!』と思っていたのですが、そのまま寝てしまい、7時過ぎに起きました。また帽子を探したのですが見当たらない。それで、土曜日でも長女は出勤でしたから、何時ものように味噌汁を温め、コーヒーを挽いて淹れ、ご飯をチンをして、彼女の起きるのを待っていました。
そうしましたら、『お父さん。携帯知らない?』と起きてきた娘が聞くので、ソファーを探したのですが、ありませんでした。そうしたら『カバンもない!』と彼女は言うのです。それで分かりました、小銭とカギの入った帽子も、娘のカバン(査証、カード類、日本円とシンガポール・ドルとアメリカ・ドルの現金、カギ類等在中)、携帯電話、次男にもらったカメラも、寝ている間に侵入してきた盗賊に持っていかれていたのです。
原因は、玄関の鍵を内側から閉め忘れたことにありました。『悔しい!』と思いましたが、命をとられなかったことは不幸中の幸いと思って諦めることにしました。カード等の停止、警察の連絡を、娘は済ませました。在シンガポールの大使館に、査証の紛失届をしようと思いましたが、緊急連絡先は、終にでませんでした。緊急時に連絡の取れない、日本大使館の対応の仕方に、盗賊よりも腹がたちました。
こういった感情はいけないのでしょうか?在留邦人の安全のために大使館員が勤務しているのに、土曜日の朝に連絡を取れない実情に、『何をやってんの?』と思ってしまいました。ところがシンガポール市警は、電話後10分足らずで来てくれたのです。
そうしましたら、どこかの領事が、高額の絵画を何幅も買い込んでいたニュースが思い出されてしまいました。もちろん、カギを掛けないで、泥棒に機会を与えたのですから、『盗まれる方がいけない!』のですが。早速、《シンガポールの犯罪情報》をサイトで見ましたら、少々前の統計で、『強盗事件は日本の4倍位です!』とありました。日本の犯罪率の低さと言うのでしょうか、社会生活の安全、警察の威力などを思って、海外では、『注意!注意!』と心に念じるべきなのでしょうか。
そう言えば、『石川や 浜の真砂は つきるとも 世に盗人の 種はつきまじ』と詠んだのは、《安土桃山のルパン》石川五右衛門でしたね。東南アジアにも彼の子孫がいたのでしょうか?それで、隣りのスーパーで、頑丈な錠前を買ってきて、セットしたのです。そんな9年前の出来事を思い出し、治安の好い日本の生活に感謝したところです。
(ルパン3世です)
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