スパンク

「日本王国記」という本があります。スペインの商人で、ヒロンという人が著者です。戦国時代、関ヶ原の戦いの時期に来訪し、長崎に、合計して20年余り生活した人で、その見聞を記したものです。今でも、“ amazon ”で日本語訳(岩波書店刊)を購入できます。

乱世を生きる日本人を見たからでしょうか、戦闘的で残虐性を紹介しているのです。江戸末期から明治期に日本にやって来た人たちの印象とはだいぶ違っています。私をさまざまに教え導いてくれたアメリカ人の恩師は、それまで出会ってきた日本人の印象について、次の様に話してくれたことがありました。

『〈来ます〉と約束したのですが、実際は来ませんでした。どうして約束を守らないのでしょうか!』とです。約束を守らない日本人と、よく彼が出会ったのです。この日本人の心理を、彼は理解できなかったのです。私たちは、招きを断って、相手を傷つけまいとして、できないのに、都合がつかないのに、口約束をしてしまうことが往々にしてあります。気遣いが、逆に相手に不信を与えてしまうのです。

それで、私は、約束したら守ること。できないことは約束しないでお断りすることにして生きて来ました。ヒロンも、同じ様な経験をしたのでしょうか。それとも、日本人は、長い鎖国時代に、変わってしまって、元々は約束履行の民だったのでしょうか。私の両親は、軽率な約束はしませんでした。その感化を、自分も受けている様です。

最近、子どもへの親からの〈虐待〉による事件は頻発しています。犠牲者も多く出ています。生むことはできても、育てることのできない親が増えているのでしょうか。ヒロンは、日本の子どもについて、『彼らは非常に可愛く、優れた理解力を持っている!』と書いています。『それを父母に感謝する必要はない。父母は子どもを罰したり、教育したりはしないからである!』と続けています。

当時の日本の社会では、子どもへの体罰はなかったのでしょう。ヒロンは、そんな光景を見たことがなかったのです。これはヒロンだけの見解ではなく、多くの西欧人を驚かせたことでした。なぜなら西洋では、「鞭(むち)」を尻に当てる体罰による、子育てが行われてきていたからです。

私の恩師も、そうしていて、私も、それを奨励されて、鞭で子どもたちの尻を打ったのです。我儘、短気、約束不履行の時にです。大人になった彼らには、子ども時代の〈スパンク(鞭打ち)〉は、合点のいかない時もあったのだそうです。もし、もう一度、私が親をやれるなら、極力、この〈スパンク〉を控えたいのです。

日本での子どもへの虐待事件の頻発で、国連から対策を求められています。私から度々、スパンクされた長男が、先日の「父の日」に、美味しい洋菓子を送ってくれました。『お父さん、やり過ぎ。でも僕にはよかったよ!』と、以前言ってくれました。でも、彼は二人の子に、〈スパンク〉はしないで育ててきています。

その彼が、今朝、家内の通院の助けにために、来てくれます。 強雨の1日になるそうです。先週は、電車に乗って通院をしたのですが、バリアフリーのない下車駅に、近隣の駅の助役さんたちが駆けつけてくださって、行きも帰りも、家内の移動を助けてくれました。多くの助けがあって、闘病中の家内であります。

(日の丸と桜のイラストです)
.