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作詞が高野辰之、作曲が岡野貞一の「おぼろ月夜」の「蛙の鳴く音(かわづのなくね)」のフレーズが、今晩、思い出されてなりません。
菜の花畑に 入り日薄れ
見渡す山の端 霞深し
春風そよ吹く 空を見れば
夕月かかりて におい淡し
里わの火影も 森の色も
田中の小道を たどる人も
蛙の鳴く音も 鐘の音も
さながら霞める 朧月夜
「雨後の筍」と言いますが、一昨日は、台風襲来で、雨が多く降ったせいでしょうか、「雨後の蛙の声」で、大賑わいの夜中です。オスのカエルが、メスを呼ぶのだそうですが、次の世代を残すために、そうします。下の子が生まれた頃に住んでいた家の南側が、大家さんの田んぼで、それはそれはカエルの大合唱でした。
今頃の事です、明け方近くに、『ドカン!』だか『ヴォカン!』だか、ガスが爆発する大音響がして飛び起こされたのです。我が家の玄関の扉が空いてしまい、ベランダの干した洗濯物と、飼っていた鳥籠の文鳥が焼け死に、南側の窓のガラスが割れて飛び散ったのです。幸いカーテンが、飛散を防いだ様です。15軒ほどの集合住宅の三階、我が家の真上の家で、ガス爆発が起こったのです。
それと分かった私は、跳び起きて、直ぐに三階に駆け上がって、通路にあった消化器で消化活動をし始めたのです。モクモクと新建材が出す煙が部屋を満たしていて、家に入ることができず、何もできずにいました。残念ながら、救出することができず、ご婦人と飼い犬が亡くなられたのです。
あんなに驚いたことはありませんでした。4番目の子が家内のお腹の中にいて、まだ小さな3人の子たちと一緒に住んでいた家でのことでした。家内は、明け方に、窓際に寝ていた子どもたちの布団を、なぜか、その日は、奥の方に引いていたのです。それで、飛び散ったガラスの破片で怪我をしないですんだのです。
間もなく、消防署と消防団が駆け付けて、消化活動が行われたのです。それが終わり、新聞記者の取材を受けた後、私は、頭に痛みを感じたので、その日の午前中に、近くの整形外科で診てもらったところ、頭部に30ものガラス片が刺さっていて、それを取り除いてもらったのです。傷みを感じなかったのです。
もう一つ驚いたのは、消防士が我が家を点検された折、『ガスが、ここにも降りていたのに、引火しなかったのはあり得ないことです!』と言っていたからです。また消防車の放水で、家具や布団や衣類などは全滅でした。多くの物を失ったのですが、命からがら、火と水を通って、一家5人と胎児が救われたのです。その後、上の兄の計らいで、必要なものを東京から、友人たちが運んでくれて、助けられたのも忘れられません。
蛙の鳴き声を聞いていて、ふと1980年の今頃の時期に起きた事故を、思い出してしまいました。私の家族は、奇跡的な助けを経験したのです。亡くなられた方が、娘たちを家に呼んでは、お菓子をもらったり、子どもなりに世間話をしていた様です。その子たちが、もう四十代、下の息子が三十代の後半で、元気で生きていますから感謝なことです。
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