忘れていること

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私たちが、忘れていることがあります。この地球の内部には、<マグマ>があることをです。<マグマ>とは、”知恵蔵2014”によりますと、

「地下の岩石が融解して生じる高温の液体。それが地表から噴出するのが噴火。マグマが液体状態のまま火口から噴出したものが溶岩。マグマの大部分はケイ酸塩溶融物で、主な構成元素は、酸素、ケイ素、アルミニウム、マグネシウム、鉄、ナトリウム、カリウム。ケイ素の量は、マグマの流動性や、噴火のタイプを左右する。ケイ素が少なく流動性の高いものが玄武岩質マグマで、主に溶岩流として噴出する。以下、含有量が増えるにつれ、安山岩質マグマ、デイサイト質マグマ、流紋岩質マグマと呼称が変わり、流動性が悪くなり、爆発性が高まる。火口からの噴出温度は、玄武岩質が1200℃前後、流紋岩質が900℃前後。マグマの起源は、上部マントルの深さ100km付近かそれ以浅にあり、マントル物質の上昇流の中で、減圧融解により岩石が部分的に溶け、形成されるとみられる。形成直後のマグマはおそらく玄武岩質で、それが上昇する過程で、条件によって鉱物結晶が析出し(結晶分化作用)、また地殻物質と反応して、ケイ素の量が増えていく。」とあります。

岩石が液状化した極めて高温な物質のことなのです。『北海道も、アラスカも、マダガスカルも、自然が溢れていて、感動的な美がある!』と言われて、誰もが行って見たい観光の名勝地なのです。私が生まれた村のそばにも、奇岩の山があり、岩の間からは滝が流れ下り、実に神秘的な美の世界があるのです。その最たるものは、南米に仕事で出かけた時に、連れて行って頂いた「イグアスの滝」なのです。『地球上に、こんな自然があるのか!』と、足がすくみ絶句したほどでした。

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そんな美と神秘の景観の下には、この<マグマ>がうねっているのだと言うこと、何度も見上げて来た「御嶽山」の昨日の噴火で思い出させられたのです。緊張している国際関係も、仁川で行われているアジア大会も、シリアの空爆も、この<マグマ>の上で行われていることになります。一旦、吹き出せば人命も、築き上げて来た文化財も、美しい紅葉も消し去ってしまうのです。これから冬になると、「日向ぼっこ」をしたくなりますが、真夏には猛暑をもたらす太陽が、少し斜めに射してくると、『暖かい!』と感じるのですが、実は、その太陽も燃えているわけで、<火の固まり>なわけです。

『日本列島には、110もの活火山がある!』、物凄い自然の中で、人が生きている、いえ生かされているわけです。ある人が、『自然界は人がして来た所業にたいして怒っているのだ!』と言っておいでです。開発、便利さ、富、そう言った物を追い求めて、自然を傷つけて来たので、地球が揺れ動き、風呂桶をひっくり返した様な暴雨が降っているのではないか、そう思えてなりません。人間の強欲と傲慢と非礼への<しっぺ返し>かも知れません。

(写真は、”Goo”による噴煙を上げる「御嶽山」、”九州大学”による「地球の構造」です)

秋は夕暮れ

 

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高校の「古文」の授業で、清少納言の「枕草子」を学んだことがあります。その初めのところに、次の様にありました。

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春は曙・・・夏は夜・・・
秋は夕暮(ゆうぐれ)。夕日のさして山端(やまぎわ)いと近くなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日入(ひい)りはてて、風の音(おと)、蟲の音(ね)など。(いとあはれなり。)                                冬はつとめて(早朝)                  「青空のホームページ」より

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秋の美しさや趣を感じられるのは、「夕暮れ」時が際立っていて、山際に沈んで行こうとする夕陽が、ことのほか感じ入るのだと言っているのでしょうか。東京から香港に飛び、香港から寝台列車に乗って北京に来たのが、2006年の八月の下旬でした。そこにバスで迎えてくれ、天津のアパートまで連れて来てくれたのが、ドイツ人の夫妻でした。

着いたのが夕刻でした。食事に連れて行ってくれ、すっかり用意してくださった部屋に入った時は、ベッドも作られていました。この若い夫妻が、用意しておいてくれたのです。すでに日本から送った物が、部屋の隅に置かれてありました。そこで天津での生活が始まったわけです。

七階の陽当たりの良い部屋で、日の出から日の入りまで、ベランダで眺めることができました。大平原に落ちて行く、大陸の夕陽を見た時、紅のような赤さと、見たことのない大きさに度肝を抜かれたのです。日本では見たことのない壮大で、神秘的な様だったからです。その時に思い出したのが、中村雨紅の作詞、草川信の作曲の「夕焼け小焼け」でした。

1 夕焼け小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
お手手つないで みな帰ろう
烏(からす)といっしょに 帰りましょう

2 子供が帰った あとからは
円(まる)い大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空にはきらきら 金の星

日本の自然の美しさと違った、中国大陸の大きさと美しさに圧倒されてしまったのです。『長安の都で、宮仕えをした、安倍仲麻呂も、同じように感じたにだろうか?』などと思ってみたりしました。やはり、この大陸でも、秋には「夕陽」が一番似合うと言うことに納得したわけです。そのベランダの目の前に、高い煙突がありました。暖房の温水を作り、アパートの各部屋に配水する施設のものでした。十月の中頃には、もくもくと煙を吐き出していたでしょうか。

その煙突が、やけに思い出されるのです。あの近辺では一番高いアパートの七階だったので、視界が大きく広かったのです。そこで夕陽や月を眺めたのですが、煙突が屹立(きつりつ)して、頼もしかったわけです。

(写真は、文中の天津の「煙突」と「夕陽」です)