「運動の秋」です。おととしの夏の八月に、上海からの日中連絡船「蘇州号」で、大阪国際港に上陸しました。その晩、『カプセルホテルに一度泊まってみたい!』との願いを叶えたくて、地下鉄に乗り込んで、予約した心斎橋のホテルに行こうとしていました。朝の十時過ぎでしたから、ホテルに入るには、まだ相当の時間があったので、『どう時間を潰そうか?』と考えて、座っていましたら、『そうだ、八月は甲子園の高校野球の大会があるんだ!』と、ふと気付いたのです。そばにいた高校生に、『甲子園は、どう行ったらいいの?』と聞いて、教えてもらった駅で乗り換えて、甲子園行きにホームで待っていました。
そこに三人連れのご婦人がいて、帽子とメガホンを持っていましたので、話し掛けたのです。結局、この方たちに同行して、入場券まで頂いて、これも長年の夢であった、『甲子園で高校野球を観戦したい!』が実現して、球場に入ったのです。照りつける夏の日差しの中で、岩手県と島根県の代表校の対戦が始まっていました。母のふるさとの代表校の三塁側の応援席に座って、応援を開始したのです。とても好い試合でした。
私がやっていた運動は人気がなかったのですが、この野球は花形スポーツで、選手数も観戦者数は雲泥の差でした。腕一本、バット一本、グローブ一つで、スター選手になれる世界なのです。長男も小・中でやっていて、プロ選手を目指した時期があったほどでした。すでに引退した松井、今や最盛期を過ぎたイチローと、ほぼ同世代です。野球の選手生命は、短いのですね。ことし、ヤンキース入に団した田中投手は、大活躍したのですが、肘の故障で戦力外になってしまいました。幾何学的な数字の契約金で入団したのに、体が資本の野球には、「故障」と言う問題がつきまとうようです。
前から気懸りだったことがあります。<投球数過多>、<登板日数過多>が、投手の故障の原因だと言われているようです。高校野球ですが、県予選(都道府もです)の初回から、甲子園の決勝戦まで、一人の投手が投げ続けるのが、一つの構図です。『管理上、これで好いのかな?』と、門外漢の私ですが思い続けて来ました。肩や肘の故障で、有能な投手が、多く消えて行きました。『勝ち続けるために!』仕方が無いとは思いません。猛省を促したいと思う、<運動の秋>であります。
(写真は、巨人軍の名投手だった「沢村栄治」です)