地球は、大雑把にできているのではありません。人間が生息するために、信じられないほど綿密な構想や計画がなされているのです。地表に生活する人間のための<空気の濃度>は、奇跡的なものです。極点はともかく、通常の生活のための<気温>は、衣服で調整できる範囲に調整されています。雨の降る量も、適量です。燃料も、固形燃料から液体燃料、そして核燃料と、地表から掘り出せるところに埋蔵されてあります。驚くほどに按配されているのです。
そこにあるのは途方もない「知恵」です。造山活動や造陸活動がなされた時、無作為に作り上げられてはいないからです。メガコンピューター以上の計算や設計図があって作られているのです。「偶然 」などと言ったら、地球からごうごうの非難が上がることでしょう。当然の様に、毎日、いえ毎秒吸っている「空気」について、ちょっと調べてみました。その成分は、窒素、酸素、アルゴン、二酸化炭素、ネオン、ヘリウム、メタン、他、です。その濃度も配合も、人間の体が必要としたものになっていて、100年以上吸い続けても無害です。賢く配合されているわけです。
こう言った地球環境に、適合した生物が生成され、生命を持ち始め、個体が出来て、愛したり赦したりできる人間に進化したのでしょうか。私の小さな脳みそでは、そんなことは考えられないのです。この「賢さ」は何なのでしょうか。私は、海が好きなのです。山の中で生まれたので、海への憧れが大きいのだと思っています。人生の一番好い時期(現在も最良と思っていますが、一般的に言って)を、四方を山で囲まれた地で生活した反動かも知れません。また父の家系の<海好きのDNA>を引き継いでいるのかも知れません。
上海の码头(波止場)から、黄蒲江、東シナ海、玄界灘、瀬戸内海を渡って大阪港への船旅をする時、14410トンの「蘇州号」に乗るのですが、岸壁では 、『うわー、大きい!』と思うのです。ところが大海に出ると、木片の様な船、それに命を任し切っている、<人間の小ささ>を感じるのが好きなのです。海の掟に従って、船長が繰る船が、自然の摂理と争わないで、波濤を越えて、前に進んでいる姿が好きなのです。
そうすると、この地球が、宇宙と言う大海原を航行する<船>の様に思えてくるのです。マストもエンジンもスクリュウも操舵桿もないのに、毎日毎日、自転しながら、一年をかけて空中を回っている、<不安定さ>が好きなのです。海に海水が満ちています。太陽に照りつけられると気化してしまいます。ほどほどの量です。それが真水となって雨を降らせ、その水を飲んで、人は生きているのです。その水が大地に注がれて、人の食物を育てるのです。種は、どこから来たのでしょうか。それを受け止めて育む土の成分と滋養分は、どこから来るのでしょうか。
やはり、この地球は、<賢く>機能しているのです。今、その地球が、悲鳴を上げています。壊れ始めているのです。手を打ったり、対策を講じたり、いえ、反省しないと、終いには爆発してしまうのではないかと心配でなりません。
(写真は、”WM”による、月から見た「地球」です)