食欲の秋

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「食欲の秋」になりました。昨夕、『乡下(郷下、田舎の意味です)で採れた薩摩芋です!』と言われて頂きました。この方の故郷から届いたそうです。この時期の物は、水気が多いそうで、『美しいのは冬場の芋なんです!』と言っていました。こちらでは、根菜が安くて、種類も豊富です。よく買ってくるのが、<紫芋>なのです。薩摩芋の一種で、果肉が紫色をしていて、甘くてホクホクで美味しいので、最近は、こちらばかりを買って来て食べているのです。

青木昆陽の話を、小学校の社会科で学びました。米の育たない痩せた地に植えることを、農家の人たちに奨励し、収穫した薩摩芋を食べて、飢えから人々を救った人として有名です。それで彼のことを、人々は、「甘藷先生」と呼ぶようになったのです。元は蘭学者でしたが、将軍・徳川吉宗に、飢饉対策として、この甘藷栽培を進言した人でした。

江戸時代には、たびたび飢饉が日本を襲いました。米の不作、米価の高騰によって、土一揆などが起こったのです。そう言う世情の中で、甘藷の試作が行われ、四年後に成功したと言われています。原産はフィリピンで、中国を経由して日本にもたらされたそうです。

この日曜日に、一緒に車に乗せて頂いた方が、こんな話をしておいででした。この街のバスターミナルから高速バスで、1時間半ほどの所にある島の出身なのだそうです。子どもの頃は、島を結ぶ連絡船に乗らなければならなかったのだそうです。私たちが五年ほど前に訪ねた時は、まだ島との間が架橋される前でしたし、高速道路もありませんでしたので、朝出て昼過ぎに着いたほどでした。

この島は、痩せた土地で、米を作ることができなかったそうで、『主食は、この<薩摩芋>でした!』、『兄弟がたくさんいて、何時もお腹を空かせていた毎日でした!』と言っておいででした。日本でも、飢饉の時に、とくに東北などでは米が採れないで、粟や稗や芋を食べていた時期があったのです。この方は、そんな苦労を微塵も見せずに、何時も明るく微笑みを絶やさないのです。

さあ、今日は、頂いた<地瓜digua>を蒸かしてみることにしましょう。瓜ではないのに、そのように、この地方では呼ぶのです。やはり、<薩摩芋>は、秋に似合いそうです。小学校の時、まだ給食のなかった私の学校で、この芋を弁当に持って来ていた級友がいました。そんな時代を思い出している、真夏のような天気の九月中旬の週日です。

(写真は、”イチからわかる野菜の育て方”による「サツマイモ」です)