秋は夕暮れ

 

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高校の「古文」の授業で、清少納言の「枕草子」を学んだことがあります。その初めのところに、次の様にありました。

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春は曙・・・夏は夜・・・
秋は夕暮(ゆうぐれ)。夕日のさして山端(やまぎわ)いと近くなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日入(ひい)りはてて、風の音(おと)、蟲の音(ね)など。(いとあはれなり。)                                冬はつとめて(早朝)                  「青空のホームページ」より

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秋の美しさや趣を感じられるのは、「夕暮れ」時が際立っていて、山際に沈んで行こうとする夕陽が、ことのほか感じ入るのだと言っているのでしょうか。東京から香港に飛び、香港から寝台列車に乗って北京に来たのが、2006年の八月の下旬でした。そこにバスで迎えてくれ、天津のアパートまで連れて来てくれたのが、ドイツ人の夫妻でした。

着いたのが夕刻でした。食事に連れて行ってくれ、すっかり用意してくださった部屋に入った時は、ベッドも作られていました。この若い夫妻が、用意しておいてくれたのです。すでに日本から送った物が、部屋の隅に置かれてありました。そこで天津での生活が始まったわけです。

七階の陽当たりの良い部屋で、日の出から日の入りまで、ベランダで眺めることができました。大平原に落ちて行く、大陸の夕陽を見た時、紅のような赤さと、見たことのない大きさに度肝を抜かれたのです。日本では見たことのない壮大で、神秘的な様だったからです。その時に思い出したのが、中村雨紅の作詞、草川信の作曲の「夕焼け小焼け」でした。

1 夕焼け小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
お手手つないで みな帰ろう
烏(からす)といっしょに 帰りましょう

2 子供が帰った あとからは
円(まる)い大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空にはきらきら 金の星

日本の自然の美しさと違った、中国大陸の大きさと美しさに圧倒されてしまったのです。『長安の都で、宮仕えをした、安倍仲麻呂も、同じように感じたにだろうか?』などと思ってみたりしました。やはり、この大陸でも、秋には「夕陽」が一番似合うと言うことに納得したわけです。そのベランダの目の前に、高い煙突がありました。暖房の温水を作り、アパートの各部屋に配水する施設のものでした。十月の中頃には、もくもくと煙を吐き出していたでしょうか。

その煙突が、やけに思い出されるのです。あの近辺では一番高いアパートの七階だったので、視界が大きく広かったのです。そこで夕陽や月を眺めたのですが、煙突が屹立(きつりつ)して、頼もしかったわけです。

(写真は、文中の天津の「煙突」と「夕陽」です)

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