水団


 私の愛読書に、『野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。』、『一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。 』とあります。食糧問題が、人口問題や異常気象の問題に関連して、今世紀の世界の最大課題だと言われています。自分のこれまでを振り返ってみまして、『食べ物がない!』といった経験は一度たりともありませんでした。戦争末期に誕生しましたが、田舎に住んでいたこと、さらには軍関係の企業に父が従事していましたので、食料に窮することはなかったようです。『お父さんが東京に出て行くと、頬がこけて帰ってきました。』と、母が言っていましたから、大都会の食糧難というのは甚だしかったようです。

 就学前に肺炎になって、街の国立病院に入院しました。死にそこなって息を吹き返し、退院した私のために、父は、どこから手に入れたのでしょうか、栄養価の高い《バター》を、潤沢に備えて食べさせてくれました。兄たちと弟には食べることを禁じたほどでした。そんな両親の愛のゆえに、私は死線を越えることができたのです。爾来、パンにバターをつけて食べる、といった食生活を離れることができないで、朝食は、それを守り続けているのです。今は、ピーナツバターやジャム(いちごやブルーベリーなど)やチーズも添えられ、紅茶かコヒーを飲むのです。病欠児童だった私は、小学校4年ころから健康児になって、クラスの番長にもなったほどでした。まあ、それは明智光秀の《三日天下》だったのですが。


 世帯を持ってからも、養育を委任された4人の子どもたちに、食べさせるものがなかった食卓の日は一日もありませんでした。今、子どもたちに聞きますと、『うちって、しょっちゅう小麦の団子の入った《すいとん(水団)》だったよね!』と言われます。そのせいでしょうか、脚気にならないで、4人とも標準以上の体格に育ったのだと思われます。贅沢することはなかったのですが、食に困ることなどありませんでした。静岡のアメリカ人の家に招かれたときに、《タコライス》をご馳走になりました。セミナーが開かれて、その日の食卓に供されたものでした。『美味しかった!』の一言につきました。それで、家に帰ってきた私は、それを真似て、子どもたちに作ってあげたのです。それ以来、我が家の《もてなし料理》になり、何かあるたびに、『今日は《タコライス》がたべたいな!』ということで、何度食べたことでしょうか。そのレシピを知っている子どもたちも、今やそれぞれが自分の《もてなし料理》の一つにしているようです。

 もう何年も前ですが、世界の食糧事情を、分数で言い当てた話を聞いたことがあります。『世界の3分の1は、有り余っている。もう3分の1は、ちょうど備えられている。そして残りに3分の1は、足りない!』というのです。戦後の歌謡界で長く歌い続けてきている田端義夫は、母子家庭で育って、学校の昼食に弁当を持っていくことができないで、校庭の片隅に座って、「赤とんぼ」を歌っていたそうです。そういえば、小学校の同級生に、長島くんという子がいて(実際は二歳年上の学年なのですが就学が遅れて私たちのクラスにいました)、一緒に廊下に立たされたことがありました。食べ物がないということで、立たされ仲間にカンパを呼びかけて、彼の手にお金を握らせて、『パンを買ってね!』と言ったことがありました。市長になった同級生もいますが、そんな長島くんのほうが気にかかります。


 そんなこんなで、我が家の家訓は、最初に書きました愛読書のことばなのであります。もちろん、子どもたちの間には、ご多分にもれず、激しい喧嘩もありましたが、よく彼らに話した故事がありました。『奴隷船があって、奴隷狩りをしていた頃に、マサイ族(アフリカのケニア南部からタンザニア北部一帯の先住民 )は、奴隷になって売られていくことがほとんどなかったんだ。なぜかというと、マサイ族の母さんは子どもたちに、常に次のことを言い聞かせて、「それを守るように!」と言ったのです。「食べ物があったら、それを自分ひとりで食べないで、仲間と分けあって食べなさい!」とです。みんなも、そうしないさい!』とです。仲間意識が強かったマサイ族は、奴隷狩りに追われても一致協力して、その罠や追跡を免れることができたのです。これって、我が家の《家訓》に似た実話ではないでしょうか。野菜やかわいたパンを食べて、それを分け合うようになるなら、何時か分けてもらった人から、おいしいステーキがお返しにやってくるかも知れませんね。我が家には、よく食客(しょっかく)が何人かいました。その中には、『おかずはこれだけですか?』と、ご馳走になっているのに、文句を言った人もいますが、彼は今、何を食べているでしょうか。少々気がかりなのであります。

(写真上は、中近東やインドで食される「ナン(パンの一種)」、中は、美味しそうな「すいとん」、下は、「マサイ族の青年たち」です)