ジョナサン

                                                     ,

 吉祥寺の駅の近くのガード下に、小さな青果市場がありました。暮のアルバイトで、夜勤で荷受をする仕事をしたのです。昼間は授業、バイトまでの時間つぶし、夜10時からのバイト、終わってからの時間つぶし、授業のある日は、そのまま中央線に飛び乗って学校でした。荷待ちの間、バイト仲間で、どうっていうことのないことを話していました。『若いうちに、思いっきり遊んでおこう。そうしたら大人になったら遊ばないですむからさっ!』といった〈遊び〉が話題でした。自分の父親や、周りにいる大人たちの様々な悲喜劇を見聞きしている学生たちでしたが、〈遊び〉の誘惑を正当化しようといった企みもあったからなのでしょうか。『先輩、バイト料が入ったら何をするんですか?』と、A大の4年生二人に聞いたところ、『バンコックに行って女遊びをするつもりだ!』と答えていました。まだまだ海外旅行などは、学生には高嶺の花の時代でした。成田が出来る前の話で、羽田は信じられないほど小さな国際空港だったころのことです。

 そのような、とりとめもない話を聞いていた初老の従業員(おジイさんにしか見えなかったのですが、今の自分くらいでしょうか!)が、『若い時に遊びたいだけ遊んだって、大人になって遊びが止むわけないよ、君たち!』と、われわれ学生には想像もつかない将来のことを予見して口を挟んだのです。そのおじさんのことばは、48年も前に聞いたのに、これまで重いまま忘れられないものを感じ続けています。〈遊び〉は、年を重ね、量を満たしたら離れられるというのは間違いだということは、明名白白のことであります。どれほど多くの若者が、この罠にかかって滅んでしまったことでしょうか。モニカというお母さんがいました。当時の地中海世界で、最大の街ローマに、息子が遊学したいと願ったのです。そこは酒池肉林(しゅちにくりん)、遊興、肉欲の地獄でした。快楽に誘(いざな)われた息子は、お母さんの静止の手を振りきって出掛けてしまいます。これまで何百何千というお母さんと同じ、いい知れない不安や諦めの思いで、モニカは息子を見送ったことでしょう。ただ、モニカのできたことは、手を合わせて無事を祈ることでした。人の母親の思いに反して、快楽主義者の息子は、素晴らしい人とローマで出会って、人生の方向転換を果たし、歴史に大きくその名を残すのです。この息子こそ、若き日のアウグスチヌスです。


 これまで教えていただいた人生の教訓を総合しますと、『〈酒〉と〈金〉と〈女〉と〈博打〉と〈名声〉とに気をつけなさい!』という結論になります。それはそれは、くどいほどに同じことを繰り返し言われました。なぜかといいますと、彼ら自身が、その誘惑の真只中を潜り抜けて、嵐にさらされ、火の粉を浴びてこられたからなのです。その強烈さというのは、今年、3月11日に東北地方の太平洋岸を襲った津浪のように激しいものではないでしょうか。テレビの中継で見た、大きな船やトラックや飛行機でさえもが、ゴム毬のように翻弄されて、波の上に踊らされ、破壊されていく光景、車や家の中にいた人々、何百年と耕し続けてきた畑地が、一瞬のうちに砕けた波に飲み込まれていく様子を忘れることはできません。受け継ぎ、あるいは築き上げた財産も、自分自身も人生計画でさえも、躊躇なく藻屑のように波に飲み込まれて消えていってしまいました。『夢や映画であったらいいな!』と思わされましたが、決して否定出来ない現実は、日本だけではなく、東北地方でもなく、私への厳しい「警告」となったのです。

 私の知人が、『少年期の自分は〈落ちこぼれ〉だった!』と言いましたが、彼はそこから起死回生、人も羨むような立場と名声を得ました。その経験を本に書いたほどだったのです。負け組から勝ち組に再編入され、その世界では名の知れる人となりました。最近、彼のことを知らされたのです。未処理の問題が、彼を追いかけ、追い越していって、致命的な過誤の中に陥落したと聞きました。生命保険の調査員をしていたハインリッヒが、1つの法則を見つけ出しました。『1つの大事故の前には、29の小事故があり、そして300の予兆がある!』という、「ハインリッヒの法則」です。予兆は、大事故が怒らないための警告なのです。『ヒヤリ!』、『あれっ!』という経験をしたら、その『ヒヤリ!』、『あれっ!』とした分野で、『決定的なことにならないよう、気をつけなさい!』とのメッセージなのです。彼にも、『ヒヤリ!』、『あれっ!』の予兆や警告があったのです。そういった時期が私にもあったことを、ありありと覚えています。でも彼は、それを蔑ろにしてしまったようです。


 ある方にこう言われました。『あなたには、自分のことを包み隠さずに、何でも言える人がいますか?』とです。まだ血気盛んな三十代の前半の頃のことでした。『いなければ、そういった人(英語では”mentor”といいます)を、見つけなさい!』と、彼は付け加えたのです。妻以外の女性からの誘惑、心のなかの騒ぎについても、話せる同性の友のことです。私は、その友のことを「ジョナサン」と呼びたいのです!

(写真上は、「吉祥寺駅(京王井の頭線)」、中は、中国の著名な先生「老子」、下は、「ハインリッヒの法則」です)