ことば


 ”Never give up!”、ドイツのロンドン空襲に際して、オックスフォード大学の卒業式で、当時の首相、ウインストン・チャーチル(1874年11月30日~1965年1月24日)は、これを三度繰り返して、祝辞としました。彼は、イギリスがこの危機を必ず脱することができる、という確信に満ちていましたので、学窓を巣立とうとしている青年たちを、そう鼓舞激励したのです。このことばを日本語に訳しますと、「不撓不屈(ふとうふくつ/中国語ですと、〈不屈不挠buqubunao〉)」が一番いいかも知れません。goo辞書は、『どんな困難にあっても決して心がくじけないこと。「―の精神」』 、とあります。とても意味の近いことばに、「堅忍不抜(けんにんふばつ)」があります。このチャーチルのことばほど、戦時下のイギリス国民を奮い立たせたものはありませんでした。人の語る「ことば(言の葉)」に、どれほどの力が込められているかという証明でしょうか。

 私の義母は、終戦後の食料難の時代に、肋膜を患いました。九州久留米から嫁いでくるときに持参した和服を、西武線沿線の埼玉の農家に出向いては、食べ物と交換して、8人家族を養っていた時期ですが。子ども優先で、本人は食べなかったのでしょうか、発病してしまいました。清瀬に専門病院があって、通院治療をしていたのです。そこに多くの女子大生たちも来ていて、いわば義母の若き病友だったわけです。薬も乏しくて、満足な治療も施せないで捨て鉢になっていた医者が、一人の学生に、『あなたの寿命は長くありませんよ!』と語ったのだそうです。その言葉に衝撃を受けたのか、間もなく彼女は亡くなってしまうのです。それを知った義母は、『先生、不用意なことばを慎んでください。権威ある人のことばには力があるのですから!』と窘(たしな)めたのです。それ以来、「ことばの持つ力」に思いを向けるようになり、この一件が、義母の人生を激励する「力あることば」と出会うことになります。今も、義妹の介護の中で、甲府で生活をしていますが、何と百歳なのです。義母は、自分の語る「ことば」で、どれほどの人に生きる目的や勇気や力を与えてきたことでしょうか、私の母も彼女と出会って励まされた友の一人です。

 このチャーチルに、こんな逸話が残されています。彼は実に聡明な人で、母国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語を理解していたのです(学校での成績は芳しくなかったそうですが)。国際会議に出る機会が多く、彼の能力ですと、ヨーロッパ諸国の国際会議に出ても、通訳を必要としなかったほどでした。英語力に難点のある私たちの国の政治家の話が、よく取り沙汰されていますが、実に羨ましい限りの才能ではないでしょうか。ところが彼は、決して相手国の国語を話さないで、必ず通訳をつけたと言われています。その理由を、チャーチル自身が語っています。

 『私は英国の利益を代表している。それなのに、たとえばフランス語を知っているからといって、フランス語で話し始めると、とたんに自分の脳が《偽フランス人》のようになり、フランスの政治文化や価値観に、自分を合わせてしまう。英国の利益を主張するときは、やはり英語で考え、英語で語り、通訳に逐語訳をしてもらうしかない。』

 外国語が分かっても、国の成り立ちの歴史、政治的変遷、文化の成立過程、その国の利益や資源(有形無形の)からなる価値観の違いは超えられないというのでしょうか。日本語のことばの多くが、中国語に由来していますが、だからといって全く意味が同じではないようです。《微妙な意味合い(ニュアンス/nuance)》が、それぞれにあるからです。一国を代表して語り聞くのですから、このことは理解しておかなければなりません。国際結婚をしている次女も、生まれてから15歳まで(高校からアメリカで学びましたから)に身につけた日本文化や価値観によって形作られているのです。一方、生まれてからこれまで、ずっとアメリカ文化と価値観で育った主人との違いが必ずあります。それを認めつつ、二人が共通に持っている文化と価値観と目標に目を向けていくなら、この違いを超えていくことができるに違いありません。


 ドーバー海峡を境にしてそんなに距離のないイギリスとフランスであるので、フランス語を聞いているうちにフランス人のようになてしまう自分をチャーチルは認めて、避けたのでしょうか。うーん、黄海と東シナ海を境にしている日本と中国ですが、互いの国際理解、国際協調、国際交流って、やはり難関があるのかも知れませんね。でも中国に生活している私は、一人の人間として、中国のみなさんとは、実に似た者同士だということが分かるのです。もちろん国土が広い分、箱庭のような日本で育った私との違いは歴然としていますが。『ここは違うなぁ!』と感じますが、『ちょっと!』なのです。これこそ在華6年目を、来月迎えることが出来る理由の一つなのかも知れません。60を超えてからの中国語の学びは、遅々としていますが、人生最後の《挑戦》として、まだまだ諦めてはおりません。

(写真上は、チャーチル、ルーズベルト、蒋介石、下は、「中国からの漂流物」です)