「戦争」の起こらないことを願う

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日本は、ふたたび「軍事大国」になっていくのでしょうか。そうなることが、国として不可欠なことなのでしょうか。もちろん、メソメソした国であることを願いませんが。しかし、剣や銃を振るった《強面(こわもて)の国》になることも願わないのです。私は父親が生きていて育ててもらいましたが、何人もの級友たちは、父親を戦死で亡くしていて、母子家庭で育っていたのです。私の「戦争観」というのは、子育てに励まなければならない父親を失わせるもの、家庭から父親や兄を奪うものといったものであります。

私の好きな政治家に、石橋湛山という方がいました。戦後間もない時期に短期間でしたが総理大臣を務めた方だったのです。日本が、欧米の列強に伍していける「大国」になろうとや躍起になっていた時に、新聞社の主筆をしていた若い時に、彼は「小国主義」、「小日本主義」を唱えたのです。国は世をあげて「大国日本」の建設に取り組む中での、この主張は勇気ある発言でありました。みんなに同調することなく、信ずることを主張し続けたという点で、私は石橋湛山が好きなのです。

多くの人は、「他と違う私」であることを恐れるのです。少数者の側に立つことによって、疎まれ嫌われ憎まれることを、誰もが願わないからであります。私は日本人の歴史を学んできて、『日本人とは何か?』との問に、『小心者!』と答えたいのです。いつも周りを気にして、びくびくとして生きてきたのです。『今日は何を着て出かけようか?』と考えると、窓を少し開けて外を眺めます。道行く人の服装を見てから、その日の着物を選ぶのです。ということは、「みんなと違う私」であることを恐れるからです。私に歴史を教えてくれた中学の時の担任は、『日本人は、鎌倉時代には、溌溂さと剛毅さを持って、生き生きととしていた!』と教えてくれました。

欧米人が、個人主義で生きていて、みんなそれぞれに個性的に生きているように見えるのですが、実は内心では、私たち日本人と同じです。「感謝祭」には、タ-キーをみんなが食べるので、『私の家でも食べます!』ということに決めます。食べなかったら、みんなから浮き上がってしまうので、それを恐れるのです。「降誕節」には、クリスマスツリーを飾ります。自分の家にないことを恥じるのです。人の行為の動機づけというのは、大なり小なり、こんなことに帰するのではないでしょうか。

私が勤めていたのは私立校でした。ある時、待遇改善を願って組合のようなものをつくろうとしたのです。30人ほどいたでしょうか、そんな中で、25才の私一人、これに加わらなかったのです。「宙に浮く」というのが、その時の私の置かれた情況でした。いじめられたり無視はされませんでしたが、好奇の目で見られていました。「圧力団体」に加わりたくなかったのはもちろんのこと、教育に専心しようとする青年教師の心意気が強かったからです。悩み抜いて、そうしたのではありませんでした。自分の信念に立とうとしたのです。そんな生き方ができた私は、結局、家も財産も名もなく、今を迎えています。家内が、私の生き方、歩みに同伴してくれるのは嬉しい限りです。

一昨年、大津波で家も車も記念館も、すべてがさらわれてく光景を、テレビで観ていました。人の築き上げた物が何もかも、一瞬にして奪い去られていくのを眺めながら、『こういった俺の生き方もまた良いことなのかも知れない!』と思わされたのです。今回の帰国で、私の弟が借家住まいをやめてマンション購入の計画を話してくれました。私と家内には帰る家がなく、子供たちにも実家がないので、『俺の家を実家にしていいよ!』と言ってくれました。その気持ちに、深い兄弟愛を感じて、こちらに戻ってきたわけです。老後に住む家よりも何よりも、それらを吹き飛ばしてしまう「戦争」の起こらないことを願い、平和を希求する、2013年の「春節」の渦中であります。

(写真は、「朝鮮戦争」で被害にあわれた家族の様子です)

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