息子の家で、「核燃料」の廃棄物の処理についてのテレビ番組を観ていました。同じ「ゴミ」でも、台所から出る生ごみは、高熱焼却炉で処理が可能で、その熱で沸かした温水をプールや風呂に利用している自治体だってあるようです。ところが、原子力発電に用いて出てくる「ゴミ」は、こういった処理ができないこと、時間と共に劣化していかないのです。永久に、どこかに厳重に格納して置かなければならないわけです。そうしますと「ゴミ」などと呼べる代物(しろもの」)とは違います。子々孫々までも処理できないままにされていくわけです。
中学校の遠足で、茨城県東海村に行ったことがありました。そこには、1956年6月に、「原子力研究所」が設置され、原子力研究を行う中心地だったからです。その二年後、中2だった私たちは、バスに乗って見学に出かけたのです。画期的で最先端の燃料革命の研究事業の様子を、次代を担う私たち中学生に見せようとしたのです。あたりが閑散としていて、何もないところに大きな建物が建っていたのが印象的でした。その研究の成果があって、この東海村の動力試験炉で、原子力発電が行われたのが、1963年10月26日のことでした。
それ以来、現在では、原子力発電炉が54基もあります。これまでの「使用済み核燃料」の「廃棄物」の総量は、2007年度の時点で、何と14870トンにも登るのです。しかも、それらは未処理のままにされているのだそうです。さらに、世界中の「廃棄物」が、同じ状態のまま、未処理のままにされているのです。日本では青森県の六ヶ所村で、再処理が行われてきましたが、最終処分場が、いまだないというのが現状なのです。さらに、各発電所には、使用済み燃料は、水槽内に残されたままなにされています。一昨年の津浪で、福島第一原発の貯蔵槽が、津浪のアタックを受けて放射線が漏れ出して大問題となり、その被害の実情は報告されていませんが、致命的な情況にあるに違いありません。このことを知るにつけ、驚きを禁じえません。
最終処分ができないまま、「ゴミ」を出し続けているというのが、原子力発電の問題の核心なのです。電力エネルギーとして利用してきたかげで、問題を封じてきたことの責任が問われるのではないでしょうか。原子力発電の「安全神話」は、このことを見ても、全く根拠がないわけです。欠けがいのない地球が、このような「ゴミ」でいっぱいにされていくことに恐れを感じてしまうのです。
人口激増、生産活動の爆発的拡大、物の消費量の増大など、様々な動きの中で、「電力」の需要は増しています。『原子力発電は仕方が無いんだ!』ではなく、人間の知恵を寄せ集めて、良い解決をしていかないと、この地球に住めなくなってしまうのではないでしょうか。このままでしたら、東シナ海の水平線に沈んでいく太陽の神秘さを、息を飲みながら眺める楽しみがなくなってしまいます。あの美味しいドリアンや水蜜桃だって食べられないのです。毎朝近くの木に飛んできて朝を知らせてくれる小鳥のさえずりだって聞けなくなってしまいます。『こんな地球にだれがした!』と全被造物が叫んでいるのではないでしょうか。
(写真上は、nasaが撮影した青い「地球」、下は、宮古島からのぞみ見る「水平線」です)