長女と同学年だったのが、松井秀喜でした。北陸の球児として、高校時代から注目されていました。一方、彼より二級上の息子も、小学校から中学まで、『お父さん僕がプロ野球の選手になったら、家を建てるし、新車も買うからね!』と言って、野球をしていました。親としては、その彼のことばが嬉しくて応援していたのです。中学の部活動の中での出来事は、彼が大人になってから語ったことばを間接的に聞きまし、彼の取り扱いについて、彼が愚痴ったり、監督批判をしたことがありませんでしたから、寝耳に水でした。それで、『そうだったのか!』と驚いたわけです。どうも公正な扱い方ではなかったようですが、彼が腐らなかったことを褒めたいのです。「もし」と言う仮定はないのですが、励ましがあったら、180cm以上(大学では187cmでしたから)の恵まれた体躯を持っていまし、運動神経もあったので、可能性があったかも知れません。でも、「巨人の星」の星飛雄馬やイチローの父親のようではなかったので、彼は花開かなかったわけです。それで中学を終えると、友人がいたハワイの高校に進学していき、野球からは離れて行ってしまったわけです。
昨日、『松井引退!』というニュースが、ネットで伝わって来ました。心から、『ご苦労さま!』と言いたいのです。その日の試合が終わって、記者が取材をすると、毎試合、驕(おご)らず衒(てら)わず、質問に答える姿が、実に好印象でした。こちらで開かれた講演会の講師が、リベラ投手の知り合いで、『松井はじつにいい青年だそうです!』と、公演の中で言っておられました。日本人の評判を高めた、彼の功績は大きいのだと思われます。渡米してアメリカのプロ野球界に在籍して10年になるのですね。そうしますと、野球の選手生命は、30代の後半で終わるのでしょうか、短いですね。政治家の世界では、世襲でない限り、まだお茶汲みの時代で、まだ半人前です。学問の世界でも、「博士号」をとって、大学に残ったら、助手か専任講師くらいで、優秀だったら副教授といったところでしょうか。相撲の世界は、もっと短いようで、30の声を聞くと「ベテラン」と言われてしまいます。
野球が面白くなくなってから、日本のプロ野球に、この松井が登場して、人気が回復してきたのではないでしょうか。その彼が移籍してしまったのは、大きな穴があいてしまったようでした。しかし、メジャーの世界で、実力をいかんなく発揮したので、今度は、アメリカ野球が面白くなってきたわけです。陰のイチロー、陽の松井秀喜、そんな両者の活躍は、興味が尽ききませんでした。年齢的に、そろそろ終焉に近づいているのはわかっていたのですが、『ついに来たか!』といった感じです。
私は野球は素人ですが、日本人が、アメリカ野球で活躍する上で、体格や体力の面に、大きな問題があるように感じたていたのです。試合数も多く、アメリカ中を西に東に、南に北に移動しなければならない環境で、ついていくのは、大変なことだと言われていました。ゴルフのトーナメントでも同じです。投手なら、ローテーションがあるので休みを取れますが、松井やイチローは野手ですから、休むすきがないのです。イチローは、入団当時と体型も体重も、殆ど変化がないのですが、それに比べ、松井は、ある時、外国人並みの体を作って、彼らに伍してやっていこうと、改造をした時期があったのではないないでしょうか。筋力のアップ、体を大きくする工夫を心がけたのです。彼の「膝」の問題は、このへんに問題があった様に、感じてならないのです。
まあ、それは結果論で、『よくやった!』でいいのでしょう。また野球がつまらなくなってしまいました。どの世界でも、性格の良い人が一番ですね。『驕らず、衒わず」!』です。彼のような選手は、百年に一人ほどでしょうか。3Aでプレーしていた時も、ひたむきに野球に向う姿勢に、子どもの世代の彼から学ばされました。改めて、『ご苦労さまでした!』