語りのプロなのか

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 ソウルの教会を訪ねた時に、『日本語は、詩を作るのに適していて、韓国語は、説教するのに向いているんです。』と、韓国人クリスチャンの方が言われていました。確かに、『そうだ!』と思わされたのです。

 中学1年生の時に、高等部の古文の先生から、『月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人なり・・』の書き出しの「奥の細道」を、週一で1年間学びました。国語の授業の枠の外だったと思います。古いけど、実に美しい日本語を学ばせていただいたことは、知識欲の旺盛な時でしたから、実に楽しくて仕方がありませんでした。

 NHKで、その道で活躍して高い評価を得ている方が、ご自分の母校の小学校で、特別講義をする番組がありました。世界的だったり、日本的だったりの著名な先輩からのレクチャーを聞くのです。その番組の中で、小学生の目がきらきらと輝いてるのを見て、講義の内容よりも、彼らの応答の方が興味深かったのです。きっと中1の頃の自分も、『高校生を教えてる先生が僕たちに教えてくれているんだ!』と言う、何とも言えない誇りや自負を感じていたんだろう、と思い出しています。でも中1に、分かるように講義してくれたのですから、あの先生の教授術には驚かされます。

 クリスチャンは、聖書のみことばを暗記するのですが、あの先生から、「奥の細道」を暗記させられたのです。65年近くたつのに今でも、最初の部分をそらんじることができるのです。どうしても日本語の原点は、古典の中にあるのですが、この頃は、古いものが敬遠されてしまう傾向にあるのは残念なことです。

 そういえば、「落語」が、台本なしで演じられるのには、いつも、びっくりさせられています。名人で、桂文楽と言う方がおられました。その日の演目を、家でやらないでは高座にはあがらなかったほどに、完璧を期した噺家だったと聞きます。

 78才の時に、国立劇場小演芸ホールで、「大福餅」を演じているとき、「神谷幸右衛門」という名を忘れて絶句してしまったのだそうです。彼は、『申し訳ありません。もう一度勉強して、出直してまいります!』と謝ってから楽屋へ引っ込んでしまいました。それ以後、二度と高座に上がらなかったのだそうです。実は、この文楽師匠は、いつの日か、高座で、話を忘れてしまうことを想定して、その謝罪のせりふを稽古していたと言われています。

 八十に手の届く年齢になって、度忘れしたって、その時の観客は赦したに違いないのですが、自分の芸にそれほど厳しかったのは、『たかが落語、されど落語!』ですね。ご自分の芸道の限界を認めて、身を引いたのは、実に潔(いさぎよ)いのではないでしょうか。

 「アドリブ」と言う芸があるのですが、即興で話をしたり演奏することですが、せりふを忘れてしまって、咄嗟のごまかしの場合も多いのではないでしょうか。もちろん、アドリブ芸の達人は、しっかりと計算し熟考して、さらりと演じるのだそうです。落語家だって、忘れたことをアドリブで無難にやり過ごしてしまう方だっておいでです。

 「黒門町」と呼ばれていた、稀有の噺家・文楽師匠は、やはり語りのプロだったことになります。そういった古い形の芸人がいたからでしょうか、「落語ブーム」が去っても、また人気を取り戻せたのでしょう。講壇には、いろいろな教会で立たせていただきましたが、今は、講壇から遠ざかってしまい、高座で話を折ってしまった文楽師匠と同じ年齢になって思うところ大なのです。

 話芸と言えば、キリスト教会の説教者も同じでしょうか。周到な準備をしても、詰まったり、間違えたり、忘れたりしてしまいます。そしてお茶を濁してしまうので、文楽師匠のようにはなれないままでした。平壌(ピョンヤン)生まれの教会の牧師さんの韓国語の説教を聴いたことがあります。その日本語語りには感情が豊かに込められていて、抑揚や高低があり、歯切れのよさと迫りが〈機関車〉のようで驚かされたのです。

 イエスさまは、アラム語で弟子たちや群集に向かってお話をされたのですが、どんな抑揚、どんな感情でお話になられたのでしょうか。『彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。(イザヤ422節)』とイザヤが預言していますから、きっと穏やかな口調だったに違いありません。喋りはもとより、《人格の高さ》が抜きんじていたのでしょう。

(“キリスト教クリップアート”から説教されるイエスさま)

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