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父母が頭(かしら)かき撫で幸(さく)あれと言ひし言葉ぜ忘れかねつる
『(遠く筑紫国の太宰府に出かける)私の頭に、二親が頭を撫でてくれた。そして、旅の無事を願って、幸を祝してくれたことばがありがたくて、忘れられない。』
これは、万葉集の「防人歌」です。そんな思いの「旅」でしょうか。これは、辺境防備のために、防人(さきもり)の任務に選ばれて、出立する若者が詠んだ和歌です。旅に途中には雨や嵐、盗賊だっていたでしょうか、太宰府に着任し、防備に配備されたのでしょう。現代人の旅人には考えられないような長旅をしての任務だったのです。親というのは、子の「幸い」を願うものなのでしょう。
この歌を詠んだのは、何歳くらいの若者だったのでしょうか。防人勤務は大変なことだったそうです。苦労の多い旅の途中で、両親のやさしさを思い出し、涙したかも知れません。任期三年、それも延長されることが多く、どんなに故郷の家族が思いを占めていたことでしょうか。
私たちの子どもたちのうち、15で、長男と次女は、それぞれ中学校を終えて、ハワイの友人の世話で、ハイスクールに入学のために出かけました。次男は中学を出て新潟に行き、長女は高校を出て東京に行きました。みんな不安イッパイだったに違いありませんが、『可愛い子には旅をさせよ!』の親の決心だったのです。〈他人の飯〉を食べるのは、親元とは違っていたのを経験できたわけです。
でも、そんな主の導きの中で、学び、人と出会い、国外から自分の祖国や家族や友人たちを思い、貴重な体験を積んだのでしょう。確かに学び得たものは、大きかったと思います。
国のための義務を負い、異国に出かける愛おしい子への親の思いは、今も、自分時も、古代でも同じなのでしょうか。結婚するまで、二親の元にいた自分としては、それは恵まれた時だったと思い返しています。
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