人と麺を恋うる秋

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 貧しい家庭で育った兄弟の話を、華南の漁村で聞いたことがあります。優秀な弟に、教育を受けさせたかったお兄さんは、東南アジアに出稼ぎに出て、給料をもらうと、弟のために送金をし続けました。そういった出稼ぎの労働者を、「クーリーkuli(苦力)」と呼んだのです。

 シンガポールの中華街の一郭に、移民のみなさんの記念館があります。極貧の中国からやって来て、その街で働いた人たちが住んだ街です。豊かになった現代の中華街は、観光地になっていますが、ある建物の二階に、それがありました。重労働の中で、アヘンの吸引に走る者がいたり、低賃金の重労働で、この国の基礎が出来上がっていったのです。

 狭い部屋に、蝋人形が置かれているのですが、どんな生活だったかが窺えるのです。まさに、苦労の「苦」、力仕事の「力」で生きていた街ですが、ビルの林立する近代都市は、そこにいかなければ過去の街の様子は知ることができません。

 “ LEXUS “ という日本製の高級車に乗っている女性が、同じ教会にいました。ご両親、弟さんとご主人と一緒に、鮑の養殖と輸出の仕事をしている、働き者のご婦人です。この方の「老家laojia/故郷」に連れていってもらったことがあります。彼女の親戚の家を何軒も訪ね、とても暖かくもてなしていただいたのです。一人の年配のおじさんは、すでに退職をして故郷に帰って来ておられ、とてもにこやかで穏やかな、自分よりも大分年配の男性でした。

 この方が、お兄さんに仕送りをしてもらい、大学まで進学し、後に大学の教授になり、その時には退職していたのです。そのお兄さんの愛をお聞きして、兄弟愛に感動したのです。その訪問は、漁船で漁に出ていて、シケにあって遭難され、ご主人と御子息を亡くされた、親戚のご婦人の激励のためでした。

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 お嫁さんとお孫さんがいて、辛そうにしておられたのです。家内が手を握ってお話をして、お祈りもしていました。その漁村は、イギリスの聖公会でしょうか、そこからやって来た宣教師の伝道で、今では村民の85%がクリスチャンだと言っていました。親戚中が集まって歓迎してくださったのです。

 この方が、日本の大学に留学して、今は大学で教えているご婦人とお二人で、2年前に家内を見舞ってくれたのです。彼女のお母さんは、市場の入り口で、お父さんが獲った魚をバケツに入れて売っていて、その横でお母さんを助けていたと、貧しい田舎の子供時代を話してくれたのです。

 街の省立病院に入院中、寝ずの番をしながら家内を支えてくれた方で、今でも母の様に慕ってくれています。ご子息が、今秋厦門大学に入学されると、昨夕、友人が知らせて来ました。お嬢さんも、大学生で、この方の家庭で、水曜日の夜に交わりを持っていました。市井の人は、穏やかで、信仰深く、社会の中でも活躍されています。

 時々、電話で様子を知らせてくれます。忍び寄る秋に、ちょっと人恋しくなっていたところに、続け様に電話が2件ほど、先週はありました。私たちには、とても嬉しいことなのです。一緒に食べた牡蠣やイカや肉、野菜のうどんの味が思い出される、《食欲の秋》でもあります。
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