芸能界には、あまり関心がないのですが、『山口百恵、還暦!』と聞いて、ちょっと驚いています。次男が生まれる頃に、歌手生活から引退して、家庭主婦となった、「稀代の歌手」で、歌の上手さは抜群でした。表彰されることが少なかったりで、妬まれる様なことがあったのでしょうか、ちょっと不運だったのですが、銀幕の舞台から潔く退いて、一般人として、幸せに生きてきた様です。
この山口百恵は、中国の若者たちの心を、強烈に捉えたのです。外国の文化や芸能が受け入れられる様になった時期に、「映画」では高倉健が、「歌」では、この山口百恵が、数億人単位のフアンの心を掴んでしまったのです。
1978年10月に、鄧小平氏の訪日後に、未曾有の〈日本ブーム〉が嵐の様に、中国全土を巻き込みました。その最たる出来事は、高倉健が主演し、中野良子、原田芳雄が共演した、映画「君よ憤怒の川を渉れ(1976年日本で公開)」でした。中国で「追捕(zhuibu)」というタイトルで、1979年以降、上映され、何と3億人が観たと言われています。隣の村まで歩いて出かけて、観たという人にも会いました。
外国映画の中から、日本映画が第一号として解禁上映されたわけです。また、栗原小巻や中野良子、そしてこの山口百恵は、中国青年の憧れのスターとして喝采を受けたのです。私が会った、五十代から六十代以上のみなさんから、「杜丘(duqu)」の名前を聞きました。誰だか分からないでいると、高倉健が演じた主人公の名前だったのです。『 “ shankou” も知ってる!』と聞かれました。『アッ、「山口(百恵)」だ!』と言ってしまったほどです。
その山口百恵が、〈六十歳〉になったのですね。世の中が、まるで無色で、娯楽も何もない時代に、日本人女性、《スター(中国語では〈明星mingxing〉)》の代表の様な彼女でした。この名を言う時に、これ以上できない様な満面の笑顔で、十代の男の子の様に、はじけて、恥じらって、五十過ぎの大学の音楽教師が聞いてきました。
それは、彼には、いえ彼らには衝撃的な出来事だったに違いありません。同じ様なスタイルの服装をし、靴も帽子もバッグも、何もかも〈ニッポン〉への憧れで溢れていた時代を生み出した、山口百恵の《還暦》なのです。
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