新しいエルサレムの到来を

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 『住めば都!』、昔の人は、そう言ったのですが、確かに昔の人だけではなく、二十一世紀に生きる私も実感して、そう言います。この6年ほどの間に、この街で、友人までできるほどになって、大いに喜んでいる今なのです。

 まさに、『あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、兄弟の家に行くな。近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。(新改訳聖書 箴言27章10節)』で、兄弟と同じような隣人に恵まれて、この街で過ごすことができています。

 この春には、年老いた私たち夫婦を連れ出して、こちらで出会ったご夫妻が、桜見物をさせてくださったのです。暑い時には、冷かぼちゃスープ、煮物、ご両親から送られてきた阿蘇の漬物、野菜ご飯などを届けてくださったのです。その様な隣街で牧会されるご夫妻もいてくださるのです。私たちの子どもたちの世代の方で、感謝ばかりです。

 家内の散歩で出会った近所のご婦人は、鮭の切り身やお刺身や果物などを時々届けてくださいます。また川向こうの隣人で、私と同病で治療中のご主人は、チェロ演奏などのビデオ鑑賞やお茶に招いて下るったのです。ついこの間も、奥さまが煮た黒豆を美味しく炊いて届けてくださったり、お嬢さんの所から送られてきたリンゴなどをいただくこともあり、先日は、弟さんが贈ってくれたという千疋屋の果物をご馳走してくださいました。

 そればかりではありません。先日は、中国で出会って、その会社の工場で、聖書研究の集いを、長くさせていただいた夫妻と息子さんが、2人の近所のご婦人たち同伴で訪ねてくれました。今は東京に住んでいて、向こうと行き来しておいでです。日本での事業展開も進めておいでなのです。そんな忙しい中、時間をとって、ここをまた訪ねてくれました。中国の工場で作った月餅や、家内の体に良い漢方の食べ物や茶葉などを、溢れるほどに、息子さんの運転の車で届けてくれました。

 受けるばかりで、お昼をご馳走しようと、評判のレストランに行きましたら、食事中に支払いを、息子さんがしてしまいました。このご家族が、東京で出会った同じ中国人のご婦人方もご一緒でした。これまで、ご主人やご家族も訪ねてくださってもいるのです。闘病している家内を励ますために、お見舞いのためにです。驚いてしまうような愛を、また示してくださったのです。

 年取った夫婦が、自分たちの国のために来てくれたことへの感謝があるのだそうです。「日本鬼子(鬼のように悪どいことを戦時下にした日本人)」と言う中国人の多い中、そんなリスペクトを示してくださるのです。この6年間、経済的にも、驚くほどに助けていただいて、身に余る愛に、実に溺れそうです。

 2018年の暮れに、体調を崩した家内が、若い友人の運転で、近くにあった省立医院の新院に行き、そこで診察してもらったのです。もっと精密なMRIにある本院での診察を勧められ、年明けの2019年の元旦に、華南の街の省立医院に参りました。そこで即入院になり、治療が開始されたのです。その治療を担当してくださった主治医が、『すぐ帰国して、治療を日本の病院でなさってください!』と勧めてくれ、そのために緊急帰国しなくてはならなくなりました。慌ただしい中、入院治療費も帰りの飛行機代も、みんな支払ってくださっていました。この方の家でも週ごとに聖書研究会を続けました。

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 帰国にあたって、どこの病院にするか決めかねて、兄弟たちに相談しましたが見当がつきませんでした。ところが、前年にお邪魔して、泊めていただいたのが、栃木市の知人の持ち家で、ご両親が長く住んでおられ、隣で商家を営んでいらっしゃる息子さんのお店の敷地内にある家が、空き家になっているのを思い出して、そこに滞在さでていただけるか相談しましたら、『どうぞ!』と言ってくださったのです。

 実は、その前年の帰国時に、この街を訪ねていたのです。その時、その方のお孫さんが入院された病院のことを聞いていましたし、その大きく成長したお嬢さんにも会っていたのです。それを思い出して、相談しましたら、その大学病院を推薦されたのです。

 あちこち問い合わせるよりも、ここだとの思いがあって、帰国して、その足で、こちらに来たのです。お邪魔した家は、寝具までクリーンングしていてくださり、泊まる準備をしていてくださっていたのです。その親切には感謝が尽きません。

 翌日、息子の車で、予約なしで大学病院の総合診察科で診ていただきましたら、緊急入院が決まり、呼吸器アレルギー科の病棟での入院治療になったのです。その対応の良さに驚かされました。結局、このご夫妻のご好意にあまえて、そこに、まず私が住ませて頂いたのです。

 治療を3ヶ月間続けた後、退院になり、どこの病院で緩和治療をするかを担当看護師さんと話し合いましたら、栃木メディカルセンター栃の木に空きがあるということで退院したのです。もう痛み止めの治療、ターミナルケアーを継続するしかなかったので、待機していたのです。実は、家内には痛みはなかったのですが、医療麻薬を飲む様になっていました

 入院中、担当の看護師さんが、家内の身体や足を洗ってくださったり、じつに懇切な看護、同僚から陰口をきかれても、課せられた以上の優しいお世話をしてくださったのです。それは、宝石のような家内の入院生活の経験だったそうです。ときどき病棟に、この方を訪ねて、チョコレートを届けて家内は感謝をしていました。子どもたち家族が見舞いに来た時も、インフルエンザの大流行中にも関わらず、面会の機会を設けてくださったのです。

 ところが家にいる間に、そこを終(つい)の病院にするために転院するのではなく、大学病院で続けて通院治療することになったのです。その間に、驚くほどに病状が好転していきました。キイトルーダーと言う新薬の投与が40回ほど続いて、家内の病巣の形骸が残るだけで、患部が消えてしまったのです。今では、3ヶ月ごとの検査の通院がなされています。これも驚いたままです

 その間に、宇都宮の“ メディカル・カフェ“で出会った知人の伝手(つて)で、漢方専門医を紹介してくもらったのです。この医師が、月一で、長く投与された薬の後遺症への対処を開始してくださって、今日に至っています。

 着の身着のままで帰国した私たちに、生活するための家財道具一式、鍋釜茶碗、箸にいたるまでを、この夫妻の息子さん夫妻が、みんな下さって、新生活を始めたのです。家もなけれれば何一つない私たちを、そんな風に支えてくださったのです。華南の教会のみなさんも、ずっと変わることなく支え続けてくださっているのです。

 また兄や弟、子どもたちに支えられ、それで、この6年間生活してこれたのです。今の住まいの家賃などを考え、もう少し安い家賃の家を探したり、これからを、ちょっと思い煩っていましたら、子どもたちが、『心配しないで!』と言ってくれました。

 どのような時も、心配をよそに、どうにかなってきた私たちなのです。いえ、どうにかしてくださる神さまがいてくださり、友や隣人や子や兄弟がいて、万端が感謝なのです。

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 やがて、「新しいエルサレム」から天から下ってくる日があると、聖書は言います。

『また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。

そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、

彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(新改訳聖書 黙示録21章1~4節)』

 その時は、死、悲しみ、叫び、苦しみのない時なのです。それまでは、それらのことがあり続けますが、終わりがあり、頬の涙が、すっかりぬぐい取られる日が来るのです。そして、新しい神の都の住民として、そこに永遠に住むことができると約束されています。感謝すべきかな、であります。

(”Christian clip arts”に向かわれるイエスさま、ベツレヘムの星という花、ウイキペディアのエルサレムの旧市街です)

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