こんな出来事がありました

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 もう四半世紀ほど前に、アメリカから、上の兄経由で、一報が入ったことがありました。『コスタさんが、入院先のハンプトンの病院で召されました!』と言う、いわば悲報でした。主の元に帰ったのですから、悲しいことではなく、《凱旋》と言った方が、主の僕として生きた方には、相応しいかも知れません。

 それ以前に、この方が危篤だと知らせてきて、彼の癒しの祈りの要請が、アメリカの教会からありました。ところが奇跡的に恢復して、アフリカ伝道に行かれたとの知らせがありました、ところが今回は、不帰の人となったとの知らせだったのです。不帰と言っても、永遠のいのちにつながる信仰の人ですから、やがてくる神の国の住人となる望みがありますから、帰ってくる場所はあるわけです。

 この方は、兄にも私たちにも、忘れられない出会いと交流があったのです。母が通っていた教会であり、私たちの母教会でもある、この教会の牧師に、兄が就任したのです。その間もない頃に、このコスタさんが訪ねて来ました。その訪問には、トラブルがあって、何とVisa なしでやって来られて、当時の東京国際空港であった羽田飛行場に着いたのですが、入国ができなくて、世田谷の入国関係の施設に収容されていたのです。

 どういった方法でか聞きませんでしたが、兄が交渉して特別措置で入国が許されたのです。身元引受人になった兄が、この方を引き取って、東京郊外にある母教会にお連れしたのです。牧師に就任したばかりの新任牧師を、休暇で帰米中の宣教師さんが、激励しようとして、アフリカ宣教の途上に、この方に寄ってくれるように頼んでの来日でした。

 それで、この方を講師に、特別集会を兄が企画したのです。それまで教会では、集会ごとに、讃美歌や聖歌から賛美をしていたのですが、ところが、

『神よ。あなたに、私は新しい歌を歌い、十弦の琴をもってあなたに、ほめ歌を歌います。(新改訳聖書 詩篇144篇9節)』

との聖書のみことばの勧めによって、chorus による賛美の歌が礼拝で歌われるようになっていたのです。その特別集会で歌えるように、その“ コーラス “ を紹介してくれたのが、コスタさんでした。日本語への翻訳や音合わせが行われ、歌詞を模造紙に書いたりして準備をしたのです。

🎶 心の中でメロディーを 心の中でメロディーを 心の中でメロディーを 王の王にささげよう 主をあがめよう 主をあがめよう 心の中でメロディーを 王の王にささげよう ♬

♬ 主は素晴らし 主は素晴らし 主は素晴らし 私の主 🎶

🎶 主の御霊よ われにあり 病癒し 虜(とりこ)放ち 獄の戸開き 盲(めしい)見させ 主の御霊よ われにあり ♬

などが歌われ始めたのです。『主を賛美するには、こんな歌は少々おかしいのではないだろうか!』と、言われた時期がありましたが、やがて日本のあちらこちらで、自分たちの《オリジナルな賛美》が生まれて来て、アメリカからではない賛美も、礼拝の中で賛美されるようになりました。そんな風に、主の栄光を褒め称えるように変えられていったのです。それが市民権を得るには、時間がかかりましたが、今では、カリスマ教会ばかりではなく、多くの教会でも賛美されるようになってきています。

 私の知り合いの牧師の友人が作られた、すてきな賛美があります。 

♬ 世界中どこででも
新しい歌をささげよ
主に歌え ほめたたえよ
御救(みすく)いの知らせを告げよ
まことに主は大いなる方
賛美されるべき方
威光と尊厳と栄誉 光栄と力
ただ主だけを礼拝せよ
天をつくり 支えている主 🎶

 そんなコーラス賛美のはしりの頃の出来事を思い出したのです。家内も、上の兄もオリジナル賛美を、作詞作曲しています。この方は、ギリシャ人とアラブ人の血を引いたアメリカ人でした。家内との婚約式に、わざわざ来日してくださって、式でお話しもしてくれ、祝福の祈りもしてくださったのです。気に入られて、私をアフリカに連れて行きたかったようでしたが、実現しませんでした。

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 私たちは、テキサスの一つの教会からやって来られたアメリカ人の宣教師さんが始められた教会で、母が、路上で出会ったご婦人に誘われて、その教会に行くようになったと言う、不思議な出会いがあったのです。その方が、家内のお母さんでした。何人もの宣教師さんが、やって来られて、それぞれの街で伝道をされて、キリストの教会が誕生しました。

 みなさん、軍人上がりだったり、牧師の息子だったりの貴公子然とした方たちでしたが、このコスタは、元ボクサーでクリスチャンになり、ニューヨークの聖書学校の教師をされていた異色の伝道者でした。

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 この方に、散髪もしてもらったり、簡単につけられ、すでに結んであるネクタイをもらったりしたのです。何よりも、主なる神を愛し、キリストの教会を激励するために、素敵な声で賛美し、祈り、異言を語ったのです。このコスタさんが、私の頭に手を置いて祈ってくださった時に、聖霊のバプテスマを体験したのです。私は、母に誘われて、時々、母の教会に行きましたが、そこで異言が語られるようになって、それを奇異に感じていたのです。それなのに異言が、自分の口を突いて出てできてしまったのです。

 その経験と同時に、十字架が分かったのです。十二分に罪人だった自分のために、キリストなるイエスさまが、代わって十字架に死なれたのだと突如として分かったのです。そして罪を悔いて激しく泣きました。そして献身の願いが、思いの中に湧き上がり、一年後に、仕事を辞めて、主の教会に仕え始めたのです。この一連の出来事があったのです。常識や知性以上の霊性上の体験と言ったらよいでしょうか。まだ25歳の秋のことでした。

 その献身を決心した時、ある方に、『教会で働くって、そんなに儲かるの?』と聞かれました。だいたい人が転職するには、高待遇の収入増の仕事だからです。私は、『はい!』と返事をしたのです。儲かるようになったかは別にして、必要はちょうど満たされて、今日まで生活してこられたのは事実で、不足はありません。

 多くの人との出会いを通して、自分の人生が急転直下、変えられたと言えます。神さまは、こんな素敵なことをされたのだと、今も思い返しているのです。でも、青年期に、信仰上の画期的な出会いは、時別なものがありました。とくに、この初めの時期に出会ったコスタさんは、人間として、信仰者として実に魅力的な人であったからでしょうか。

 大きめなナスの中身をくり抜いて、牛肉のミンチ、にんにく、玉ねぎ、くり抜いたナス、研いだお米に、塩などで味付けをし、コンソメ味でぐつぐつ煮込んで、オリーブオイルやトマトケチャップで味付けした料理を、この方が作ってくれたのは、忘れられない味でした。何度、真似て作ったことでしょうか。あれは、きっとギリシャ料理、地中海料理だったに違いありません。また作ってみたくなってしまいました!

(ウイキペディアによる地中海風景、テキサス州花のブルーネット、ナスの花です)

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