もう大きな秋が

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 「ちいさい秋みつけた」、作詞がサトウ・ハチロー、作曲が中田喜直、編曲が菊川廸夫による、日本の名曲の一つです。

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
よんでる口ぶえ もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
おへやは北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
むかしの むかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉赤くて 入日色
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた

 もう今年は、「小さい秋」でもいいから、早く、この暑さを追い出して欲しいと、どなたも思っておいでだったのではないでしょう。自然のリズムが狂っている現状を、人間が、この天然自然に、長年してきたことの刈り取り、結果であることを認めねばなりません。

 何十年も前に、アマゾンの密林や、東南アジアに広がる熱帯雨林は、その地域だけではなく、地球全体に大きく寄与して、自然界の均衡を保ってきたのだと言われていました。ところが、原生林や密林を伐採して、警告を無視してきたのです。ことの反対が叫ばれていましたが、その声を無視してきたのです。

 “ globalism(グローバリズム/地球を全体的に捉えていくこと)” の考え方で、地球の将来を捉えるべきでしたのに、自分の国の発展が優先してしまって、今の問題が生まれているのでしょう。工場建設用地にしたり、山を切り崩して都市化を図り、河川の流れを、都市の延長を図るという理由で変えてしまったことなど、自然破壊の結果です。アスファルトをひきつめ、コンクリートの建物を建て続けて、土の地面が消えて行きました。

 地球全体に均衡が取れていたのが、人の都合で変えてしまったことが一番の原因でしょう。子どもの頃、主要道路だって未舗装でした。川は土の土手で流れが守られていました。車の排気ガスも少なく、広場は土で覆われていたのですが、経済成長とともに、どこもかしこも、コンクリートやアスファルトで覆われてしまいました。家も木造だったのが、火災予防との理由で、アスベストやモルタル作りになっていきました。

 私たちの時代の遊び場は、あちらこちらにあった、小川や池、とくに里山が多くありました。そこに分け入って、自然観察や木の実などの採取、虫や小動物の捕獲をしていたのです。スズメを獲るのだって、「バッサリ」や「かすみ網」という道具や仕掛けを置いたりしていましたが、農薬散布が原因でしょうか、今ではスズメが見られなくなりました。虫や動物の糞や尿の排泄物や死骸が、土を生き返らせ、動物が住む場所を提供して、自然のサイクルが機能していたのに、そう言った自然のサイクルが壊れたのです。

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 化学物質、とくにプラスチックが海に流れ込み、巨大な鯨などの胃袋に入り込み、チップ化したり、粉化したプラスチックが、人や魚や動物に体内に入り込んで、機能不全を起こしたりしている現状を嘆いている科学者が多くおいでです。

 目の前の巴波川も、嵐の後の水流には、ペットボトルや食品用のトレイが流れの澱みに溢れているのを見かけます。木の葉や野菜は還元できますが、どんなに水にもまれても、プラスチック製品のゴミはそのままの形であり続け、今では Microsoft chip化した物質の被害が取り沙汰されています。

 自然保護は急務、そう叫ばれても自分の territory だけは保護しますが、公共の場や他人の場では、全く不注意に生活しています。それでも昨日の散歩道にも、運動公園にも、風に吹かれた木の葉は舞い、地の上を転がっていました。吹く風も秋らしく感じられてきた様です。もう「大きな秋」がきているのは感謝なことです。まもなく北風が吹き始めて、自然界が縮こまっていくのでしょう。

(ウイキペディアの里山と落ち葉のイラストです)

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