クレーマーたち

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 「クレーマー」、英語のスペルで “ claimer “ と書き、日本語では、「〘 名詞 〙 ( 洋語claimer ) クレーム② 一般に、商品、相手の行為や処置などに対する苦情を申し立てること。とくに執拗なクレームを言う人に対して使われることが多い。(日本国語大辞典)」とあります。「執拗に苦情を言う人」です。

 もう20年ほど前に、川越の年金事務所に出かけた時に、内容は聞き取れないほど、支離滅裂に、係官に罵声で不満を言ってる四十代の男がいました。周りなど全く気にせず、気に食わないことがあったのでしょう、責め訴え続けていたのです。そう言った言い方を注意したり、叱ったりしないで、ただ静かに聞いているだけの事務官の忍耐にも感心したのです。同僚たちも上司も助け舟を出すことなく、もう膠着状態でした。

 順番を待ちながら、その罵声を聞いていた間、その内容が分かりませんでした。年金受給への不満か何か、または応対の態度が気に食わなかったのかも知れません。しばらく続くと、制服を着た警察官が四人ほど来て、そのやりとりを眺めていたのです。その男は、物を投げたり、暴力に訴える様なことはなかったので、様子見だったのでしょう。

 どう収まるかを見届けようとも思いませんでしたし、自分の順番になって、要件をすませましたので、そこを出て帰路に着いたのです。あんなに執拗に、責めるのを見て、聞いていて、公務員の窓口業務、苦情処理とは大変だなあと思ったのです。どうも、そう言う様なことが多くあるのでしょう、窓口の方は慣れている様子でした。

 もう一人、激しい口ぶりの患者が、獨協医科大学病院にいました。初めは静かな口ぶりで、支払い窓口で話していたのです。その窓口の係りの女性は、その不満を言葉でぶつけられて、言い訳がましい応答をしていました。その七十代の男の感情を害したのでしょうか、口ぶりが徐々に激してきて、しまいには、大声になっていったのです。

 プツン、と切れるような音は聞こえませんでしたが、まさにそんな状態でした。埒が開かなかったのか、『ここの責任者を出せ!』と怒鳴っていました。するとその受付の女性は、『私が、この部署の責任者です!』と、冷静な態度と口振りっで言ったら、肩透かしを食ったのでしょうか、権威を認めたのか、声が小さくなって、しばらく何かを言いながら、その場を去っていったのです。

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 人の集まる場所によっては、とくに受付には、そう言ったクレーマーが多く来るのでしょう。病状が思わしくなかったり、経済的な理由、人間関係の問題、将来への不安が、そう言った不満を抱いてしまい、その思いや現状を、何かにぶっつけるのでしょうか。こう言うことが多くありそうです。

 自分も、けっこう長く牧師をさせていただきましたので、いろいろな方々とお会いし、いろいろな不満をぶっつけられ、責められらことも何度もありました。落ち度は相手にではなく、こちらにあったこともあります。でも、いつも冷静でいられたのは、「事実」だけの上に立とうとしたことと、今も思っています。相手の方の「感情」だけに揺さぶられずに、その背後にある、目に見えない過去と、そこで負われたこころの傷などを見極めようとしました。

 そういった人たちに、言わなければならないことは、言ったのです。とくに若い信者さんに対して、よくない影響力や不信を植え付けて欲しくないと、いつも思いました。それで、「事実」だけをお話しし、責めることはしませんでした。一度だけ、去るようにお願いしたことがありました。家内を守るためでした。今でも、それは、主と人との前に正しかったと思っております。

 相手からの責め立ての背後にある、「感情」、とくに、過去に負われて、傷ついた経験がおありなのが分かったのです。自分の経験の判断だけではなく、教会の主、人の一生や心の組み立てをご存知のお方がお示しくださったからです。変えられない過去、でも変えられて、心を正しく収めて生きていける様な、これからの日々があるのを、その人に期待したのです。

 だから先走った判断は下しませんでした。自分にも、傷つけられた過去が多くあるからです。それとともに、人の心を傷つけててしまったことが多くあったのです。

 二年ほど前になりますが、これも獨協医科大学病院の家内がかかっている科の待合室で、四十代ほどの男性が、『お待たせしまったじゃあねえや、何でこんなに待たせるんだ!』と言って、看護師さんを、強い声で責めていました。

 どうにかなることだったら、どうにかできますが、避け難い現実を、みんな待っている待合室中で、みんなが思っていることを、この人は口に出してしまったのです。相手の立場を考えたら言わない様な、責め立ての言葉をぶっつけたわけです。病が重くて、患者が苛立つのは分かりますが、そうであればあるほど、相手を顧みる思いが必要だなあと思ったのです。

 人の集まる場所では、生の感情が出やすいのかも知れません。胃がキリキリしていたら、そんなこと、あんなことを言いたい人は大勢いるのです。羨ましいのは、考えなしに言ってしまえる人です。でも平安のない背中を見せて、その場を去って行かれました。病は、気を病ませるのでしょうか。『注意しよう!』と思った自分でした。

(ウイキペディアの人のいない待合室です)

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