一人の上方芸人の生涯を思う

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 上方芸人で、吉本喜劇所属の坂田利夫さんが、82才で亡くなりました。平均寿命が2020年で、「81.05歳」ですから、ご自分の生を全うされたことになります。

 ご自分を、「アホ」と言って、笑いをとった人で、芸人魂を持った根っからの師匠でした。そこまでして、芸道を生きなくても良かったのではないかと思ってみたのですが、芸の道とは、それほど厳しいものだと言うことを知らされて、自分にはできないなと思ったことがありました。

 生涯独身を貫いた方で、結婚をしない理由は、『結婚して子どもが与えられ、その子がアホと呼ばれてほしくないから!』と言っていたそうですが、これも芸人特有の理由なのでしょう。本意は分かりません。

 この方を結婚させる会があった頃、その番組を見観たことがありました。仲間内で、そんな盛り上がりがあって、芸人仲間からも信望のあった方だったのでしょう。テレビが、わが家に置かれてから、人気番組は、「番頭はんと丁稚どん」で、その丁稚どんを演じていたのが、メガネをずらしてかけていた大村崑でした。ボケ役でしたから、坂田さんは、それにヒントを得て「アホキャラ」を演じていったのかも知れません。

 元々は漫才の出身で、上方漫才は、関東の漫才とは違って、テンポが良くて、抜け目がなくて、軽い笑いで、聞いていますと日本語に、もう一語あるのではないかと思わせたほどで、聞いていて分かる言語だったのです。坂田さんは、漫才の賞も多くとって、人気の漫才芸人でした。

 大阪人の友人は少ないのですが、私の育ててくださった宣教師さんは、大阪で伝道をしていた時期がありました。何度か呼ばれてお話をさせていただり、みんなで訪問したことがありました。さすが、教会の中では、関西弁は聞かれませんでした。宣教師さんは、そこで病を得て、後半は、ご子息のいた東京のホスピスに入院されて、天に帰って行かれました。

 坂田さんは、「老衰」が死因だそうです。もうすぐ八十になる私は、「老衰予備軍」になっているのかと思わされたのです。人生、盛んな時期が短く、アッと言う間に過ぎていくのですね。それを再確認させられた訃報でした。

なが瞳にように守り、死ぬことにないように

御翼の影に われをかくまいたまえ ♯

 家内の今年最後に通院を終えて、ホッとしたのでしょうか、この五年間、風邪をひかなかったのですが、立てないほどで寝込んでしまいました。寝ていて、この賛美が口をついて出てきたのです。『死ぬまで生きる!』覚悟でいます。父にも義父にも、自分たちの子を抱いてもらえずに、天に送ってしまいましたが、せめて、孫たちの結婚式には、家内と二人で出たいなあ!

 笑う必要のある、厳しい現実にある人々に、「笑い」を提供した坂田利夫師匠は、国会議員にもならなかったのですが、一芸人として生を全うしたことになります。眼の間に、哀愁が漂っているように感じたのは、私だけではないのでしょう。生きるのは、実に厳しい現実に違いありません。

(ウイキペディアによる「坂田利夫師匠」です)

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賛美せよ!

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 『感謝のそなへものを献るものは我をあがむ おのれの行爲をつつしむ者にはわれ神の救をあらはさん (文語訳聖書詩篇5023節)』

 『ヱホバをほめたたへよ その聖所にて神をほめたたへよ その能力のあらはるる穹蒼にて神をほめたたへよ その大能のはたらきのゆゑをもて神をほめたたへよ その秀ておほいなることの故によりてヱホバをほめたたへよ ラッパの聲をもて神をほめたたへよ 筝と琴とをもて神をほめたたへよ つづみと蹈舞とをもて神をほめたたへよ 絃簫をもて神をほめたたへよ  音のたかき鐃鈸をもて神をほめたたへよ なりひびく鐃鈸をもて神をほめたたへよ  氣息あるものは皆ヤハをほめたたふべし なんぢらヱホバをほめたたへよ (同 詩篇150篇1〜6節)』

 賛美は、礼拝の最たるものです。神こそ、賛美を受けるにふさわしいお方であり、賛美の中に座され、賛美の中に、再びおいでになります。礼拝が、説教中心になってしまったことは、至極残念なことであります。ダビデは、竪琴を奏でながら、主を賛美しました。その賛美が、詩篇の中にあるのです。

 パウロとシラスは、ピリピの獄屋の中で賛美しています。その賛美が、彼らを縛っていた鎖を解き放ち、人々を縛っていた心の束縛を解いたので、牢役人はイエスさまをキリストと信じ、家族も信じてバプテスマを受けました。

 教会の中の賛美は、厳かであるべきです。驚くほどの讃美歌を、教会は生み出しました。でも、楽譜がなくても、メロディーが与えられ、みことばが歌われるような、自由もあっていいのです。パウロたちの獄中の賛美は、そのように、神が讃えられて歌われ、賛美され、礼拝をしたのです。

 ヨーロッパに福音戦況が拡大し、そこから全世界に福音が宣べ伝えられて行く、その発端は、神賛美、救い主賛美だったのです。

 『さあ賛美しよう 救い主イエスを!』と賛美して、主を崇めてきました。無秩序や自分よがりな歌詞やメロディーはいけませんが、聖霊なる神さまは、みこととばを思い出させ、メロディーを与えられるのです。

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 『えいくわうの王はたれなるか ちからをもちたまふ猛きヱホバなり 戰闘にたけきヱホバなり 門よなんぢらの首をあげよ とこしへの戸よあがれ 榮光の王いりたまはん この榮光の王はたれなるか 萬軍のヱホバ是ぞえいくわうの王なるセラ (文語訳聖書 詩篇24710節)』

♯栄光の王とはだれか 強く勇ましい主 戦いに勇ましい主である

万軍の主とはだれか 強く勇ましい主 これこそ万軍の主である 

 詩篇を歌うことができるのです。ダビデが歌ったようにではありませんが、ここ日本で、救われた者に、こんな賛美が与えられたのです。パイプオルガンでなくても、ギターを爪弾いても、ドラムを叩いても。手を打ちながら、踊ってもいいのです。麗しい賛美は、主が受けるべき誉だからです。

 ニューヨークから、伝道者が、母教会に来られて、賛美コーラスが紹介され、日本語に翻訳されて歌い始められたのです。

♯ 心の中でメロディーを 王の王にささげよ

主をあがめよ 心の中でメロディを 王の王にささげよう ♭

 単調なメロディーで、主が賛美されたのです。そういった賛美礼拝が、教会の中で始まったのです。『おかしい!』と言われつつも、50年も経つと、市民権を得て、若いみなさんが、それを受け入れて、自ら作曲をされて、新しい賛美が誕生されるようになってきたのです。混沌とした世情だからこそ、主が賛美されるべきです。来年も、賛美の声を上げ、この国を讃美で満たしましょう。

( Christian clip arts の「獄中賛美」他です)

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