父の道を

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 「炭酸泉」の効能に、《血行促進》があるのだそうです。父が、くも膜下出血で倒れ、入院先で脳溢血を起こして亡くなっていますので、父の腰から出て、父の血を引く自分も、体質的に似ていますので、それを教訓にして、60以降を生きてきたつもりです。それで、時々、この炭酸泉のある温泉に出掛けていたのです。

 けっこう注意深く生きていたいたつもりでしたが、先月、夕食時に、右手の箸がポロリと落ちてしまったのです。20秒間ほどだったでしょうか、全く右腕の感覚が麻痺していたのです。それで左手で腕をさすっている間に、感覚が戻ってきたのです。

 そんな経験はしたことがなかったのです。そのままやり過ごそうとしたのですが、それが血行障害の症状として聞いたことがありましたので、家内に、近所の民生委員をされていた方で、一緒にラジオ体操をしたり、お招きしたり訪ねたりしてお交わりのあったご婦人に、家内に電話で聞いてもらったのです。すると、『すぐ救急車を呼んでください!』とのことで、確認した家内が、119番に通報をしてくれ、救急車が駆けつけてくれたのです。

 この救急体制は、電話を受け、行き先を確かめると、すぐに発車するのだそうで、すぐに来てくれました。当座の必要な物をカバンに入れて、階下に降りると、間も無くサイレン音をしながら到着したのです。症状を伝えましたら、搬送先を「獨協医科大学病院」に決めていただきました。そのご婦人が、連絡してくださったのでしょう、上の階の元看護婦のご婦人が、同乗しようとしていた家内に家に留まるようにと言って、車でついて来てくださったのです。高速道路の利用で搬送していただきました。

 その車内で、救急隊員の方が、上の息子に電話してくれたのです。搬送先で、救急措置をしていただき、落ち着いた段階で、入院になりました。家内の入院、退院後の通院で通った病院でしたので、様子が分かっていましたし、この春には、家内が救急搬送されていまして、同乗していて、救急治療室の廊下で待った経験がありました。

 夫唱婦随、婦唱夫随の後追い救急搬送で、この市の消防隊、隣町の病院には、大変にお世話になっているのです。そこでは、すぐに点滴やリハビリが始まり、主治医の診断で、レントゲンやCTMRIや血液の検査が繰り返され、左脳に小さな血栓が発見されたのです。脳梗塞の診断でした。即通報の搬送が良かったのだそうで、八日間の入院で退院できました。

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 まさに、六十過ぎの「父の道」を、八十手前で踏襲したような経験でした。性格も体質もやはり受け継ぐのでしょうか。上の二人の兄も弟も、すでに同じ道を歩んでいるので、四人が共に受け継いだことになります。

 帰国以来、中華太りの体重を10kgほど落とすことができ、食生活を少しづつ改善して来たのですが、すぐ上の兄と競争で培った〈早飯喰い〉はなかなか治らなかったのです。ところが入院中によく噛む習慣を身につけ、感謝しながら咀嚼しつついただくようになりました。

 それで先週、滞在中だった娘親子に誘われて、3人で、炭酸泉のある温泉に行ってみたのです。気分爽快で、ぬる湯につかっていました。久しぶりの温泉行きが、娘の勧めで二日連続していたのです。そうしましたら、入浴中に、一人の方が、外湯から湯殿に帰ってこられ、歩いててる間に、タイルの上に後ろ向きに倒れてしまったのです。幸い頭は打たなかったのですが、すぐに湯からあがって、その方のそばに寄って、助け起こそうとしたのですが、『ありがとうございます。大丈夫です!』と言われ、立ち上がり、湯殿から出て行かれました。

 いやー、脳梗塞経験者は驚きました。数年前に、洗い場で倒れた方がいました。自分は外湯にいたのですが。救急隊が駆けつけておられ搬送されて行きました。温泉、高齢者、湯当たり、立ちくらみ、または脳溢血などが、起こりやすい世代なのです。心地よい温泉も、また危険に溢れているようです。

 市の包括センターの担当者の方が、入退院を知ってでしょうか、すぐに駆けつけてくれました。今後のデーサーヴィス、給食制度、ヘルパーさん派遣制度、ショートステイなどの介護を、具体的に計画策定してくれました。この思いやりのネットにも、近所のみなさんにも感謝しています。もう無理のできなくなったことを、思い知らされていますが、歳なりに輝いて、もう一花、小さくても咲かせたいと願っています。まだカッコよく生きたいのでしょうか。

(ウイキペディアによる「炭酸水」、「入浴中のニホンザル地獄谷野猿公苑」です)
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