メディカル・カフェ

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 この日曜日の午後、県都・宇都宮で、「メディカル・カフェ」があり、来訪中の次女と孫娘と私たちで参加したのです。この会は、順天堂大学の医学部の医師をしておいでの樋野興夫(ひのおきお)氏が、呼びかけて始まった、おもにガン患者を中心に、医療関係者とボランテアと家族の交流を目的としたもので、宇都宮では十周年を迎えています。

 樋野興夫氏の担当の「ガン哲学外来」の医療現場から、そもそも「ガン哲学外来」とは、どんなことを目的とした医療なのかについて、つぎのように述べられています。

 『多くの人は、自分自身または家族など身近な人ががんにかかったときに初めて死というものを意識し、それと同時に、自分がこれまでいかに生きてきたか、これからどう生きるべきか、死ぬまでに何をなすべきかを真剣に考えます。一方、医療現場は患者の治療をすることに手いっぱいで、患者やその家族の精神的苦痛まで軽減させることはできないのが現状です。
 そういった医療現場と患者の間にある隙間を埋めるべく、「がん哲学外来」が生まれました。科学としてのがんを学びながら、がんに哲学的な思考を取り入れていくという立場です。そこで、隙間を埋めるために、病院や医療機関のみならず、集まりやすい場所で、立場を越えて集う交流の場をつくることから活動を始めました。
 2009年、この活動を全国へ展開をしていくことを目指し、樋野興夫を理事長に「特定非営利活動法人(NPO法人)がん哲学外来」を設立しました。2011年には、隙間を埋める活動を担う人材の育成と活動を推進するために「がん哲学外来市民学会」が市民によって設立されるとともに、「がん哲学外来コーディネーター」養成講座も始まりました。
 こうして、がん哲学外来が対話の場であるメディカルカフェという形で全国に広がり、現在ではメディアで取り上げられるほど注目されるようになりました。また、地域の有志による運営、病院での常設などのほか、さまざまな形で協力してくださる企業も増えてきました。
  これらの活動をしっかり支援し、がん患者が安心して参加できる場をもっと提供していこうと、NPO法人がん哲学外来を201373日「一般社団法人がん哲学外来」とし、一組織として強固な体制を整えていくことになりました。
  「がんであっても尊厳をもって人生を生き切ることのできる社会」の実現を目指し、より多くのがん患者が、垣根を越えた様々な方との対話により、「病気であっても、病人ではない」という、安心した人生を送れるように、私たちは寄り添っていきたいと思っています。』

 宇都宮でもたれている、この交流会について、医師をしておられ、ご自身もがんの闘病中で、会の責任をお持ちの方は、次ように語っておいですす。

 『がんの診断にたずさわる医師たちやがんを経験した人たちが「まちなか」へ出ることにしました。がんなどを患う方たちと話すために。がんなどを患う方たちの家族と話すために。白衣を脱いで、立場を超えて経験をふまえ、同じ立場でまちなかでみなさんと癒しの場をつくっていきたい。
 まちなかでコーヒー片手に、話しましょう。』

 家内の退院後に、以前教会に来ておられ、ご主人に転勤で東京近辺に在住の一人の姉妹が、この会の存在を教えてくれたのです。ネットで検索しましたら、宇都宮でも開催されていて、そこに集うようになったのです。

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 昨日の会には、実家に帰って来た次女と孫娘が、私たちに同行してくれ、一緒に家族として、この会に参加したのです。心うちのことを何でも話をし、一歩会場を後にしたら、語られ聞いたことは、会場に置き残して、それぞの生活の場に帰っていく、これを旨としていて、自由な語り合いが行われ、看護師や医師のみなさんに相談したり、苦しみを分かち合ったりするのです。

 互いに認め合い、励まし合い、話すこと、書くことに励んでいくような勧めもなされています。この会は、全国に展開していて、引っ込み思案の患者を外に誘って、話したり書いたりするような勧めまでしてくれています。「ことば」は、話されても、書かれても、keyboardで打たれても、大切な交流の resource なのでしょう。

 臨時参加の孫娘は、司会者に請われて、交流会の最後に「クリスマス会」が持たれ、「聖しこの夜」を英語で賛美していました。

(” Wikipedia “ による「宇都宮市」、「ベツレヘム」です)

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貧弱という門を通って

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 「私たちは、貧弱という門を通って神の国に入らなければならない。」

 「いと高き方のもとに(いのちのことば社刊)」にあった一節です。この本は、オズワルド・チェンバースの説教や聖書学校の講義で語られたものを、夫人が速記されていたものを編集して、刊行された黙想書です。「百万人の福音」誌に、湖浜馨牧師が翻訳され、19711972年に掲載されていたものを、1990年の秋に、いのちのことば社から、手を加えて刊行されたものです。

 名文、名翻訳文で、毎年毎年繰り返し繰り返し、家内と読み続けてきたのです。このような黙想書は、多く刊行されてきていて、内村鑑三の「一日一生」、スポルジョンの「朝ごとに」、榎本保郎の「旧約聖書一日一章」、金田福一の黙想書も素晴らしいものでしたが、私には、一番教えられ、迫られたのが、この書なのです。

 力強さとか、速さ、豊かさが求められる繁栄の時代、「貧弱」とか、「弱さ」とかは流行らないに違いありません。価値観の転倒だからでしょうか。この流行りこそが、価値観の転倒なのにです。

 救われるために、高慢で、言い訳ばかりする人は、創造者の前に、自らの弱さを曝け出さない限りは、神の国に入国できないというのは、その通りなのです。イエスさまは、「山上の説教」で、

 『心の貧しき者・・哀しむ者は福なり(明治元訳聖書 馬太伝545節)』とあります。それはただの貧しさというよりは、何も持たないほどの困窮状態を言っていて、また単なる悲しみよりも、悲嘆のどん底で感じる思いに違いありません。そこから「神の国」に入るのだと言っているのです。繁栄の教えの対極にある在り方でしょうか。

(“ウイキペディア”による十七世紀頃の「London bridge」です)

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