絆と愛と時間

 

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 挿絵の多い本で、その絵ではなく、文章のある「一節」に強いインパクトを与えられた人が多くおいでです。その一節は、挿絵とともに、読者の関心をひいていているのでしょうか、ある人は座右の銘にしているほどでした。

 私の選択した、第二外国語は、フランス語でした。そのテキストが、そのサン=テクジュペリの「星の王子さま」だったのです。その内容が面白かったのでしょう、珍しく〈AAの優〉の好成績をもらったのです。有頂天にされて、仏文専攻に変えたかったほどでした。

 その有名な一節とは、次の短文です。

 『On ne voit bien qu’avec le coeur. L’essentiel est invisible pour les yeux.心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。』

 これはキツネが、星の王子さまに語ったことばなのです。王子さまは、バラに振り回されていたのです。そのバラが、王子さまにとっては、じつは、かけがえのない存在だったことに、やっと本人が気づくくだりのお話なのです。目にはみえなくてもそこに「絆」や「愛情」があり、王子さまがバラに費やした「時間」があったのです。

 金や物よりも大切なものがあると言うのです。家族や友だちや家族など、その人たちを大切にする想いや愛情は、目には見えないのですが、それらとの「絆」や「愛」、共に過ごした「時間」だって、とても大切なのです。 

 兄二人と弟、喧嘩ばかりの子供時代だったのに、お嫁さんたちが羨むよう仲良しの今で、季節季節に果物、果汁、着る物などえを贈ってくれるのです。妻や子供たち家族もです。そう、いまだに、人に恵まれ続けています。信仰上、時間をかけて8年もかけて育ててくださった宣教師さんがいてくれました。疲れると、家族で招いてくださって共に過ぎさせてくれた宣教師さんもいたのです。華南の街でも、多くの愛兄姉と愛の交わりを持つことができ、今もなお継続中なのです。

 そして帰国以来、新しく住み始めた地で、人との絆が与えられたことに感謝したのです。住む家を提供してくださったり、通院の送り迎えをしてくださったり、物心両面で助けられてきました。避難先を見つけてくださったり、引越し先での生活のための布団からテーブル、鍋、釜、食器などの家財をいただいたりしたのです。

 ごく最近も、私が病んで、搬送先まで着いてくださり、入院中には、留守をしている体力のない家内に代わって、ゴミ捨てまでしてくださった隣人がいるのです。家内に食べ物も差し入れてくださる方たちもおいででした。

 今日も、親のように慕ってくれる中国の方が、ご家族4人で訪ねてきたいと言ってこられたのです。華南の街の会社の事務所で、聖書研究会をさせいただき、時々、パンやケーキを家に運んでくださりでした。また故郷に招いてくださりし、お母さまの葬儀にはお話もさせていただいたのです。今は東京に住んで、家内に漢方薬や健康食品を届けてくださったりなのです。横浜近郊で、二次製品を製造し、輸出事業の展開をしつつある方です。

 みんな時間が培ってくれた人との愛に満ちた絆です。恩人も隣人も肉親も、みなさんは主が備えてくださった「賜物」なのです。今も孤老など、よその話で、激励してくださるみなさんがいて、互いに尊重し合いながら過ごしております。また感謝の一年でした。

(“Christian clip arts” のイラストです)

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