兵庫県

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兵庫県をイメージするイラスト画像

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 JR姫路駅から、播但線で生野(いくの)に出掛けたことがありました。現在は、朝来(あさご)市になっています。夏季聖会が、そこで行われたのですが、結構長い電車の旅をして、参加したのです。そこは、銀山で有名で、佐渡金山、石見銀山と共に、江戸幕府の財政を支えた鉱山でした。

 母のふるさとの出雲を訪ねるために、また出張で新幹線や寝台特急で通過することの多かったのが、兵庫県でした。姫路港から、小豆島にフェリーで渡り、土庄港から四国の高松に上陸して、愛媛県下を西に進んで、八幡浜から、大分の別府、熊本への自動車旅行をしたことが、一度ありました。

 県名の「兵庫」とは、武器庫を意味していて、この地に、兵庫(つわものぐら)があったことに由来があります。県都は神戸市、人口は540万、県花はノジギク(野路菊)、県木は、楠(くすのき)、県鳥はコウノトリです。何と言っても、神戸港は、開国以降も、日本の海の窓口として、重要な政治的にも商業上でも役割を担ってきています。京の都に近く、大陸との回路を結ぶ主要な港でした。

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 阿倍仲麻呂も、日宋貿易から始まり、今日でも出入りする物流は、東京、横浜、名古屋、四日市、大阪などに列して、ここ神戸港の果たしている役割は、古来とても大きいのです。

 律令制のもとで、この地は、畿内(主に天皇の住む地域をそう呼んでいました)、山陽道、山陰道、南海道に位置していて、江戸幕藩体制下では、この県に置かれた藩は、摂津国に尼崎藩と三田藩、丹波国に篠山藩と柏原藩、但馬国に出石藩と豊岡藩、播磨国に姫路藩と林田藩と明石藩と龍野藩と赤穂藩と三日月藩と小野藩、三草藩と安志藩と山崎藩、淡路国に阿波藩の洲本城がありました。

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 やはり兵庫県で一番の馴染みは、小学校で学んだように、1886年に公布された「日本標準時」の子午線、東経135度に位置する明石(あかし)市になるでしょうか。1888年1月1日から適用されています。今、わたしの住む栃木市の時刻は、14時12分ですが、これは明石市で刻んだ時刻であるわけです。

 そんな関わりがあるのに、日頃は全く意識なく、時を迎え、送っているわけです。念のため、世界標準時は、ロンドンの南東部に位置する「グリニッジ(Greenwich)」で、現在は18時12分です。1日が24時間であって、この地にある子午線の0度を起点に、各国の標準時が定められているのです。

 産業面では、マッチ、釣り針、手延べ素麺は全国第一の生産を誇る県だそうです。そういった地場産業が長く行われていて、ひち部とは生活を成り立たせて生きてきている訳です。そういえば、マッチっていつ使ったでしょうか、ライターやチャッカマンに変わってしまって、もう長いのです。

 さて、兵庫県ですが、わたしは関西圏には、まったく関わらずに、これまで生活してきましたので、馴染みが薄いのは残念です。ヨーロッパから、シベリヤや中国をへて、大陸から難を逃れて日本にやって来たユダヤ人やポーランド人は、福井県の敦賀に上陸し、この神戸の港から、世界各地に、自由を求めて移って行きました。それは人道上果たした輝かしい出来事でありました。
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 また、かつて日本の支配下に置かれていた台湾から、当時の全国中等学校野球選手権大会が開かれた、嘉義農工が出場した「甲子園」を忘れてはなりません。1931年(昭和6年)に、中国人、原住民(山地族)、日本人の混成チームの嘉義農工は、決勝戦で、中京商業に破れましたが、準優勝を果たしています。

 今ではプロ野球の子会社や下部組織の様な野球チームとなってしまたった高校野球で、私学の学校経営の広告塔のような在り方はを、もう一度考え直さなければならない時期にあるのではないでしょうか。どのスポーツもプロ化してきて、純粋に楽しむものではなくなってしまい、選手育成会社の製品になっている様で悲しいのです。それで食べている人たちが多くいるからです。でも嘉義農工の勝ち雨役した時代には、高校野球、素人野球は輝いていたのを忘れてはなりません。

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 わたしは野球小僧ではなかったのですが、野球付きの父や次兄の影響で、かつての後楽園球場にも連れていってもらって、巨人戦を観戦したことがありますし、バットを振ったり、ボールを投げたり捕ったりしたものです。甲子園には一度だけですが観戦のために訪ねております。

(野路菊の花、明石天文台、神戸市のイラスト、嘉義農工の甲子園です)

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