『ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18章20節)』
主イエスさまの弟子たちが、エルサレムの都で、『父がわたしの何よって、与える約束の聖霊を待ちなさい!』とのおことばに従って待っていました。やがて,ユダヤ恒例の祝祭の一つ「五旬節(pentēkostē七週の祭り)」の祭りがやってきたのです。その日、およそ120人ほどの人たちが、一軒の家で祈りをしていました。すると突然,天から激しい風が吹いて来るような響きが起こって、家全体に響き渡ったのです。
そうしますと、炎のような分かれた舌が現れて、そこにいた一人一人に留まったのです。すると、みなが聖霊に満たされて、御霊が話させてくださる通りに、他国のことばで話し出したのです。彼らは口々に、『神の大いなるみわざを語った』と、記されててあります。それは弱さを覚える者を強める、約束の「力の付与」でした。
ちょうど着物を着るように,力を着せられた120人ほどの人々によって、「キリストの教会」が、その日誕生したのです。その様子を,多くの人々が奇異なものを見るようにして眺めていました。驚き惑っている彼らは、『いったいこれはどうしたことか?』と言い始めます。
まるで葡萄酒に酔っているように見えたのです。そこでペテロが,他の11人とともに立って、大きな声で説明を始めたのです。
『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』(使徒2章17~21節)』
この旧約聖書の「ヨエル書」のみことばを引用して、預言されたことの成就だと話したのです。その説明に耳を傾けていた人たちには、心を刺されて、『私たちは、どうしたらよいでしょうか。』と言うのです。それに応えて、ペテロが、『そこでペテロは彼らに答えた。『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。(使徒2章38節)』と語ると、そのことばを受け入れた者たちは、バプテスマを受けます。
その五旬節の祭りの時に、『三千人ほどが弟子に加えられた。』のです。その信仰者たちは、使徒たちの教えを固く守り、交わりをし、パンを裂き(聖餐に預かったのです)、祈りをしていきます。この人たちを核にして,毎日救われる人たちが、教会に加えられていくのです。
「キリストの教会の誕生」を、聖書はそう記しています。それは、教会にとっては、まさに「晴れの日」でした。間も無くすると、教会に「曇りの日」、「嵐の日」が訪れてきます。エルサレムの街の旧勢力のユダヤ教徒からの迫害が始まるのです。
教会の内側にも、主の御霊を試みる者が出てきたり、内部からの苦情、さらには殉教者も出てきました。そのような嵐の中で、キリストの教会は、主イエスさまがなさったような「奇跡」も行うのです。手を置いて祈られた者たちが、病を癒やされ、悪霊に支配されていた人たちが解放されていきます。その結果、主の弟子たちは日増しに加えられていくのです。
やがて、激しい迫害が教会に襲いかかってきて、群れが散らされてしまいます。ところがユダヤやサマリヤに散らされていく中で、彼らは、『・・・みことばを宣べ伝えながら巡り歩いた(8章4節)』のです。そのエルサレムの教会の執事であったピリポも散らされ、サマリヤの街に行きます。彼も、そこで、『・・・キリストを宣べ伝えた(8節)』と記されてあります。ピリポは、「しるし」を行い、汚れた霊につかれた人を解放し、中風の人を癒すのです。それで、『町に大きな喜びが起こった』と記録されています。
今日、世界中に、「キリストの教会」があります。ギリシャ語の「エクレシア(ἐκκλησία=国のために召集された集会)」の訳語で、「人々の集い」を意味していいます。「教える会」とは呼ばないで、ある集まりは、「集会」と呼ばれています。訳語としては、その方が原語の意味をよく体現しているからです。ウクライナの国にも、多くのクリスチャンがいて、「キリストの教会」があり、ペンテコステ系の教会が最も多く、世界中に多くの宣教師が送り出されています。戦火の中でさえも、互いを励まし合うために、ある教会では礼拝を守っています。
(“ キリスト教クリップアート“ による「ペンテコステ」です)
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