心に刻んだ街

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 『いつかヨーロッパを訪ねてみたい!』、と願いながら、その夢が叶えられずに時が過ぎてしまいました。それでも諦め切れていない長年の私の夢なのです。イギリスにもフランスにもスカンジナビアにも行ってみたいのですが、一番訪ねてみたいのは、ライン川の上流のネッカー河畔にあるというハイデルベルクの街です。

 ドイツ有数の景勝地ですが、私が行って見たい理由は、この街で、聖書解釈の論争や紛争を、穏やかに解決したいと願った、フリードリッヒ三世が、熟練した人ではなく、これからの時代を担って行く、主と聖書と教会を愛する、若い二人の人に、それを要請したのです。

 彼らは、精一杯努力を傾けて、祈りと協力の中で、「ハイデルベルク信仰問答」をまとめ上げます。人に教える能力に優れたウルジヌスと、情熱的で優れた説教者だったオレヴィアヌスの二人によってでした。その出来上がった草稿は、教職大会に提出され、検討吟味されています。そして1563年に出版されました。

 種子島に鉄砲が伝来したのが1543年でしたから、その20年後のことであります。それまで、『信仰を正しく教える!』と言う願いを込めて、宗教改革以降、いくつかの「信仰問答」が生まれていました。その代表的なものが、この「ハイデルベルク信仰問答」なのです。

 おもに、バプテスマを受けようとする人の準備のために用いられてきたのですが、クリスチャンとされた私たちが、自分の信じていることの全体を、網羅的に再確認するためにも、大切な役割を持っております。おかしな教えや自分勝手な聖書解釈によって、教会はもてあそばれて来た過去がありますが、正統で健全な信仰を養うためには、この「信仰問答」や「教理問答」は、とても有用なものだと信じるのです。

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 健全な信仰を持っているなら、非聖書的な教えを、しっかり、はっきりと見抜くことが出来るからです。 その内容は、ジュネーブの宗教改革者ジャン・カルヴァンの著作が、基本ですので、改革派教会の代表的な信仰問答書だと言えますが、中立的な立場を取ろうとした努力が、この二人の起草者によってなされていますので、偏ることのない、「信仰問答」だと言えます。

 罪に堕ちた人間が無力で惨めであること、そのような私たちをあわれまれる神が、御子を十字架に罰して、私たちの罪を贖ってくださったこと、「人のみじめさ」から始まって、「神のみ恵み」が、この問答で展開され、「ただ一つに慰め」を、神さまから頂いているのです。ただ栄光の神さまが、あがめられほめたたえられているのです。


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 台湾に宣教旅行をさせていただいた時に、おもに長老派の教会をお訪ねしました。その牧師さんたちに、『あなたの説教は健全なので安心しました!』と言われました。それは、健全な教えを、私が宣教師方から受け継がせていただいたからだと思っています。

 初代の教会でなされた「癒し」や「聖霊の賜物」や「御霊の実」などが、この時代のキリストの教会で現わされ、賜物が、『終わってしまった!』のではなく、この時代にも用いられると、私は信じています。そうイエスさまが約束してくださったからであります。でも、「健全な教え」こそが、教会への最大の賜物であります。キリストが贖われた教会から、主の栄光がほめられますように!

 五百年も年月が経つのに、真理に没頭した信仰者たちの過ごした、ネッカー河畔の街は、生まれた山村、育った東京郊外の街、主と教会に仕えた街、海を渡って過ごした街、それらに比しても、勝るとも劣らなく、若い日に心に刻んだ街なのです。

{別のブログに200611月に掲載分に少し手を入れました!}

(ハイデルベルクの街角、竹森満佐一氏の著作です)

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