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「モアブは若い時から安らかであった。彼はぶどう酒のかすの上にじっとたまっていて、器から器へあけられたこともなく、捕囚として連れて行かれたこともなかった。それゆえ、その味はそのまま残り、かおりも変わらなかった。 (エレミヤ48章11節)」
恩師が、ある時、主の家の奉仕をしてる私たちの交流会で、次の様に言いました。『あなた方、” mature “ な経験のある人は、若い人に奉仕の責任を譲って、新しい任地に出て行きなさい!』と挑戦したのです。また、実業界で働いてきた私のすぐ上の兄も、自分の城を大きくしたりしないで、責任を他の人に任せて、新しい働きを始める勧めをしていたのです。
私は、そう言った勧めを聞いて、私たちの仕えてる奉仕は、そう言ったものだと理解したのです。多くの人を集めて、人に褒められる様な働きを誇示する誘惑から出て、新しい一歩を取る様に機会が開くのを待っていました。
居心地のよい〈安定の城〉の中に留まり続けて、別の器にあけられることなくて、葡萄酒が芳醇さを失ってしまう様に、ある方たちの奉仕も、そうなってしまう様子を何度もみてきたからです。それで、宣教師から受け継いだ奉仕の機会を、他に譲ろうと、心に決めたのです。イスラエルの葡萄の醸造の過程では、器から器へあけられたようです。
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私は日本が侵略した過去を持つ国に出掛けたい思いを抱いたのです。中国の四都市を訪問した私は、一つの街で、一人の方と出会って、家に食事に招かれました。その方が、『中国においでください!』とおっしゃったのです。それ以来、ちょくちょく、その言葉が思い起こされたのです。そうすると恩師の挑戦が思い起こされてきては、時の到来を待ったのです。すると、次のみことばが強く迫ってきたのです。
「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄(中国語訳も英欽定訳も《平和》です)を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。(エレミヤ書 29章7節)」
それを “ go sigh “ として出掛けたのです。まさに、器から器に移されたかの様に思えたのです。それで天津で一年間漢語を学び、父が若い日に過ごした東北地方に行くのを考えていましたら、長男の友人で華南の街の方が、招いてくれて、その街に行き、そこで12年を過ごすことになった次第です。実に素敵な年月でしたが、家内が病んだのを契機に帰国を致しました。
その年月は一言では語り尽くせません。時々、” face time “ で、華南のみなさんと交わりを持ちますが、いつも、『あなたたちはいつ戻ってきますか?』と言われます。まさに実の兄弟姉妹の様なみなさんと共に過ごした日々が懐かしくて仕方がありません。東京で新しい事業の準備をされておられる、中国人のご家族がいて、彼の友人父子と、先月は、マスク姿で見舞ってくれました。
あの日の決断は、自分勝手な願いによるものではなく、一歩一歩の導きがあったと、今になって思うのです。かつての敵国からやって来た老夫婦が、一緒に座し、共に聖餐に預かり、声を合わせて賛美を歌い、説教をし、そんな交わりをした年月は、主に導かれたものでした。器にあけられ、カスが除かれたからできた日々だったに違いありません。
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