一冊の本

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 もう30年ほどになるでしょうか、家内と私は、一冊の本を毎朝読んできています。華南の街にいた間も、帰国した今も続けてるのです。病気や入院や旅行中に欠いたことがありますが。それは、「366日の黙想」と言う副題のついたもので、ロンドンの神学校の校長をされて、四十代の前半で亡くなられた、オズワルド・チェンバース(1874〜1917年)の死後に、夫人が夫の教える神学校での教えの速記録をもとに編集して著した本です。

 英語の題は、” My utmost for his hightest “ 、日本名の「いと高き方のもとに」です。「百万人の福音」と言う月刊誌に、1971年から一ヵ年の間、掲載字数の制限があったので、意訳されて掲載されたものに、訳者の湖浜馨師が手を加えて、1990年に出版されたものです。それを手元に入れて読んでいるのです。

 あの頃、送られてくる月刊誌に掲載されたものの一年分を切り取って、自己流に製本して繰り返し読んでいました。本として刊行されてから、それを購入し、読み継いでいるのです。けっこう長い年月になりますが、毎朝新鮮な語り掛けを受けているのには驚かされます。

 多くの本を失ったのですが、実は、下の息子に読む様にして、家内が上げたものが、何故か親元に帰ってきたものなのです。〈1995年1月5日 母〉と、第三表紙に、家内の記入があります。家内が中三の次男に贈呈しました。次男には新たに買って上げていると思います。
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 スコットランド人の思想、信仰でしょうか、伝道を志して入学してきた若者たちに、情熱を込めて「真理」を曲げることなく教えたことごとの記述です。確かに創造者を崇め、人を啓発する教えが、簡潔にまとめられています。華南の街にいた時も、非合法本の中国語訳があって、それを買っては、何人かの若者に上げたことがありました。

 短い生涯を、最高に輝いて生きた人の内に宿った永遠の命の喜びと確信が、今朝も伝わってきます。金が錬金される様に、純化された《古(いにしえ)の教え》が止まっていて、安定さを感じさせてくれます。人を喜ばそうとはしない、また人をもてなそうとはしないで、神の真実や、生きる道を語っています。《古典》と言ってもよい一冊です。

 聖書の他に、こんなに長く読んできている本は、他にないのです。読むたびに、まるでこの方の学生になった様に、新しいことを示されたり、警告されたり、叱られたりすることもあります。『自分のために書かれているのかも知れない!』と思うことがしばしばあります。ちなみに、ロンドンで彼が教えた神学校の卒業生の中で、四十人ほどの人が宣教師となっているそうです。

(その本の英語版、オズワルドが生まれたアバディーンの街に咲くスノードロップ〈マツユキソウ〉です)

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