わが心の街

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 一度訪ねて観たい街があります。ライン川と合流するネッカー河畔の街で、ドイツ最古の大学街と言われる「ハイデルベルク」です。ここには、わが国の京都にもある「哲学者の道」があるのだそうです。京都は西田幾多郎の散策で有名ですが、このハイデルベルクはゲーテがよく逍遥したと言われています。

 私は母の信仰を継承し、アメリカ人宣教師から教えを受け何を信じるかを、またどう生きていくかを学びました。そして多くの本を読みました。その信仰の基礎の部分を作りあげる上で、二十代に手にした、竹森満佐一師の翻訳した小冊子の「ハイデルベルク信仰問答」を読んで、学ぶことによって、確証の印を押された経験をしたのです。

 その体系的にまとめられた問答書は、1561年、フリードリヒ3世によって選任されたウルジーヌスとオレヴィアーヌスによって作成されています。「神の恩寵」を掲げる改革派の教えが根底にあって、若い神学者たちによる問答書で、「聖餐論争」を終結することが主たる目的での作成でした。

 それまで個人的に、教えられて来たことと、自ら学んでいたこととが、まるで「勘合符」の様に、この問答書とピッタと合わせられ、承認されたのを感じたのです。当時、一線を退かれた岡田稔師の説教を、テープで聞く機会がありました。師のお話の内容と人間性の高さに感じ入ったのです。自分が模索しながら学び、立とうとしていた信仰的立場を確認することができ、安心を得たのです。
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 それは知識だけのことではなく、書かれた文章でも、人の思想でもなく、「真理の解き明かし」でした。同じ頃に読んだ本に、榊原康夫師の「聖書読解術」がありました。その書の最後に、『・・・聖書という書物に関する限りは、その術だとかこつだとか理論だとかでやっていても、やっぱり最後に、どうしてもことばでは言えない神秘が残るのです・・・どうしても聖霊の自由なお導きとみわざに最後の極意を譲り渡すということ。』と言われました。

 若い日に学び諭されたことは、今なお新鮮な教えです。右にも左にもそれず、偏らないで真っ直ぐに歩んでこれたと、今なお思わされるのです。その出発点が、どうもハイデルベルクにある様に感じてなりません。500年近く前の異国で生まれた思想に、何か郷愁を覚えていますので、訪ねてみたいのです。何度も行こうと思ったか知れない街ですが、今まで叶えられずじまいでした。昨年来、不要不急の外出をしない様にしていますので、行けるかどうかは不明です。

 今すべきことは、闘病している家内と共にいて、一緒に過ごすことと決めていますから、家内が癒えたなら、緩やかな旅程で訪ねられるように願っております。でも出たがり屋の私の心は、飛んでいっているかの様です。思想も街も、私の心に中に宿っているからでしょうか。

(この街の様子と、5月頃に咲くアーモンドの花です)