見事満開

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百花繚乱、六花繚乱の栃木の五月です。花水木と藤の花は、友人が、外出の少ない家内と私たちを慰め励まそうと送ってくれました。躑躅(つつじ)は、眼下の植え込み、矢車草は家内が川辺で摘んだものです。みんな見事です!

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お腹が空いたのでしょうか、赤ちゃんの泣き声が、ベランダの戸を開けると聞こえてきます。男の子とご両親の家族がお住まいで、今春、赤ちゃんが誕生したからです。わが家でも、よく泣いていた長男、ほとんど泣かずに眠っていた長女、やさしく泣いていた次女、何をしても可愛かった次男、どこに住んでも、にぎやかで明るかった家庭だったのを思い出します。

子どもが生まれると、親やお爺ちゃんやお婆ちゃんは、赤ちゃんを覗き込んで、鼻をつまむのだそうです。大きくなって、みんなの〈鼻つまみ者〉のならない様に願って、前もってそうしたのでしょうか。〈臭い物は鼻をつまむ〉ほどだったので、嫌われること、嫌われる人を、〈鼻つまみ〉と言ったので、そうならない様に、生まれたばかりの時に、親族が鼻をつまんでおくのだと思ったのです。

実は、そうではなくて、〈鼻を高く〉できるように、つまり自慢できるようにでしょうか、クレオパトラや小野小町にあやかって、鼻筋の通った、鼻の高い美人になるように願って、お爺ちゃんやお婆ちゃんが、生まれた孫の鼻をつまんだのだそうです。それで、次の様な俳句があります。

たらちねの つままずありや 雛(ひな)の鼻   与謝蕪村

その生まれ育った子が、または雛人形が、鼻の低い子に育ってしまったからでしょうか、その原因が、鼻の〈つまみ忘れ〉だと蕪村が句を詠んだのです。ツンとして気取った鼻よりも、少々座り気味の鼻の方が、愛嬌があって味があります。でも、地震も、雷も、火事も、親爺も怖いのですが、平成になって、〈原発〉が、その列に加えられ、令和になった今、〈コロナ〉が横行しています。

いったい、何時になったら、〈目鼻がつく〉のでしょうか、世界中で、医療関係のみなさんが、コロナの〈鼻っ柱をへし折る〉ために、勇敢に戦っています。日本政府も、今のところは、〈鼻をうかがう〉ばかりのようです。きっと、〈鼻高々〉に、コロナ退治がなされる日がくることでしょう。そのためには、不要不急の外出を避け、必要最小限の外出に心がけ、手洗いを励行することにします。

そういえば4歳ほどの隣家の男の子が、お母さんや、訪ねてくるおばあちゃんに、〈鼻を鳴らし〉て、甘えている声も聞こえてきます。世界で起きている騒動を知らずに、隣家の子たちは元気です。家内も私も〈つまみ忘れ〉でしょうか。

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