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二十歳(はたち)の時でした、「若者たち」というテレビドラマが、フジテレビの企画で放映されていました。大変人気を博したもので、千葉県の海岸沿いの町が舞台で、“ ウイキペディア “ に次の様に解説されています。
『両親を亡くした5人兄弟が、友情・恋愛・確執などを繰り返しながらも逞しく歩き続けて行く青春ドラマ。視聴者の共感を呼び、開始当初は低かった視聴率も回を追うごとに上昇していった。内容は、1965年11月29日付の毎日新聞朝刊「ある家庭」という特集記事で紹介された、実在の家族を素材に企画されたという。また、ドラマの人気上昇につれ後述の同名主題歌も大ヒットした。しかし、1966年9月23日放送予定の第33話「さよなら」は、在日朝鮮人に対する日本人による差別を描いていたのだが、その直前に平新艇事件が発生したため、放送が中止された上、9月30日をもってドラマ自体も打ち切られた。1966年、第3回ギャラクシー賞 テレビ・フィクション部門受賞。』
その主題歌は、次の様でした。
1 君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで
2 君のあの人は 今はもういない
だのになぜ 何をさがして
君は行くのか あてもないのに
3 君の行く道は 希望へと続く
空にまた 日が昇るとき
若者はまた 歩き始める
空にまた 日が昇るとき
若者はまた 歩き始め
人気のある番組でしたが、後味のよくない、不可解な思惑が働いたのでしょうか、突然の終わり方で残念だったのを覚えています。私には、両親が朝鮮半島からやって来られて、日本で生まれ育った二世の方で、いまだに親しく交わりをしている同級生や友人たちがいます。立派な方たちで、私たち家族を、何かにつけて助けてきている方もいます。
そう言う意味で、今の様な日韓関係は、残念で仕方がありません。試験前のノート写しで、助けてくれた同級生がいたこともあって、私は親韓、親朝なのです。沼津でお会いした方の故郷は、平壌(ピョンヤン)で、『故郷の運動競技場に人を集めて、大演説会を開くのが私の夢です!』と語っておいででした。
青年期に出会った人たちは、格別に懐かしいものがあります。友情とは民族や国籍を超えたものであって、私たちが受け継いでいない、好いものをお持ちの方たちが多くおいでです。《メザシの土光さん》と言われ、経団連会長をされた土光敏夫氏が、次の言葉を言い残しておいでです。
『年寄りには年寄りの知恵がある。それは確かだが、若者の邪魔をしちゃいかん。年寄りは若者の邪魔をするようになったと思ったら、さっさと退かんといけない。若い者にまかせれば、ちゃんとやってくれるよ。』
何とも眩しくあの頃が思い出されてきます。友情も恋も、会うも別れも、笑いも涙も、様々にありました。まさに《槿花一朝の夢》の如しでしょうか。
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