晩期

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今朝の庭に咲く花々です。アサガオは晩期で、盛りが終わって、終息に入ろうとしているのでしょうか。落ちた種が、芽を出しましたので、別の鉢に移し替えました。これが、いつ咲くのでしょうか。華南の街では、正月を超えても咲いていましたが、北関東の下野国では、どうなるのでしょうか。ちょっと楽しみです。

家内の上の姉が、アメリカ東海岸の街で、召されたとの報せが、今朝ありました。苦労して二人の子を育て上げた義姉です。昭仁様と同い年で、乳兄弟姉妹になる様な誘い(乳母候補)があったそうですが、義母は、姉への授乳を優先したと聞いたことがあります。再会の望みがありますが、家内は悲しそうにしています。貧しい中、私たちの中国での生活を、たびたび支えてくれたのです。二人の義理の甥と姪に、天来の慰めがあります様に!
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鵜呑み

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2017年の4月に、腱板断裂の縫合手術のために、札幌の整形外科に入院している時のことです。手術の翌日から、リハビリが開始されました。その時の記事を再掲載します。

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今、午後4時前です。第1回目のリハビリを、2階のセンターですませて、病室に帰って来たところです。リハビリ歴2年の療法士の方が、装具を外し、ツボを押したり、筋肉をほぐしながら、腕を挙げたり伸ばしたりしてくれました。この《手術を終えた翌日のリハビリ》には驚きです。前回、12年前の術後のリハビリは、相当の日数が経ってからでしたから、リハビリ療法も、長足の進歩があるということでしょう。

この病院には、99人のリハビリ療法士がいるそうで、相当の規模の整形外科病院だと言うことでしょう。『腱板治療では、日本の第一人者で、先日、アメリカの学会に出席されていました!』と、ここの理事長の医師を、若い療法士が誇っていました。部下の尊敬度が高いというだけでも、素晴らしいことです。偉ぶったところがなく、《どこかのオッチャン》といった感じです。いい職場なのが分かります。

男性の看護師が、よく世話をしてくれています。《どうしようもない父》と死別して、母親の手で育てられたそうです。中高と6年間、居酒屋の皿洗いをしながら、看護専門学校を出たそうです。どんな父親であっても、良くても悪くても、《父は父なるがゆえに父として遇する》と言う、私が学んだ格言を教えて上げました。この入院先では、結構好い出会いと、関係がある様です。

明日からは、午前と午後のリハビリをするとのことです。今日の札幌は快晴、暖かな一日で、西日が病室の窓から入り込んでいます。札幌は、東に位置する北海道は、空が白んでくるのが早いのには驚きです。今日も好い一日でした。

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このリハビリを続けていた時、ベテランの療法士さんが、『ネットのサイトで、この病院を探し当てたんですよ!』と、療法中の会話で言いましたら、次の様なことを漏らしていました。『実は、あれは作為的に業者に委託して、トップに入る様に操作したもんなんです!』とです。
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まんまと私は引っかかってしまったわけです。あの上位に、その病院のサイトがあって、それを鵜呑みにして、札幌の病院に中国からメールで問い合わせたのです。そして、帰国して羽田空港から直行してしまったわけです。荷物が先に病院に届いてしまって、病院では受け入れるかどうかを会議までしたそうで、〈中国から来た日本人〉を、やむなく受け入れ、三日後の最終手術で、十二番目にしてもらったのです。

常時、60人ほどが入院していて、そこで術後のリハビリを受け、ある段階で第二病院に移されるのです。ところが、執刀医で院長が、自分の手元に、私をおいて診たいと言って、特例の扱いをしてくれたのです。実に腕の良い、気さくな医師でした。ネット操作はありましたが、最善の治療を受けられたわけです。

そんなで学んだのは、家内の生活上の必需品の購入で、ネットを利用する機会があり、〈どこの何を買うか〉なのます。その販売のランクの〈レビューの評価順〉も、そんな操作が多いに違いなく、鵜呑みにするのをためらうのがいいのかも知れません。ネット販売の会社の評価を参考にした方がいいのかな、と思っています。

(HP[日本旅行]から札幌の秋、病院食です)
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私たちにもある

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『誰にもふるさとがある!』、作詞が山口洋子、作曲が平尾昌晃の「ふるさと」を、五木ひろしがうたいました。そう、私たちにも「ふるさと」があります。

祭りも近いと 汽笛は呼ぶが
荒いざらしの Gパンひとつ
白い花咲く 故郷が
日暮りゃ恋しく なるばかり

小川のせせらぎ 帰りの道で
妹ととりあった 赤い野苺
緑の谷間 なだらかに
仔馬は集い 鳥はなく

あー 誰にも 故郷がある
故郷がある

お嫁にゆかずに あなたのことを
待っていますと 優しい便り
隣の村でも いまごろは
杏の花の まっさかり

赤いネオンの 空見上げれば
月の光が はるかに遠い
風に吹かれりゃ しみじみと
想い出します 囲炉裏ばた

あー 誰にも 故郷がある
故郷がある

先月、23日に、台風の影響で、出発時間が、4時間近く遅れた飛行機で、華南の街の空港に降り立ちました。着陸の瞬間、思い出が湧いて出る様に、懐かしさで心が溢れそうになりました。9ヶ月ぶりの感情としては、けっこう心が昂ぶっていました。家内と12年を過ごし、多くの友人たちと交流した街だからでしょう。

婚礼でお話をさせていただいた若い友人が、車で迎えてくれました。呼びかける中国語の響きが、思い出を蘇らせたのです。そこは、家内と私の《第二の故郷》だからです。実は、こんなに長く住み続けるとは思いませんでしたが、人生とは不思議なものなのなのでしょうか、素敵な出会いがあって、心を交わし合う好い交流があっての年月でした。

そこは家内が二度入院し、友人たちの篤い友情で過ごした街です。日本のように完全看護ではなく、家族が近くにいないのに、多くの友人たちが朝昼晩と三交代、四交代で、家内の上も下も、懇切な世話をしてくれた街です。美味しい果物や野菜が出回ったりすると、季節に応じて差し入れをしてくださり、ご自分の田舎から届いたと言っては、魚や野菜を届けてくれた街なのです。
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『遠くにいる親戚よりも、近くの他人。』と言うのですが、中国の社会でも同じで、家族の役割を、友人たちが担って、『お二人は私の家族ですから!』と言って過ごして時々でした。風邪を引くと中国漢方の薬を、腰が痛いというと貼り薬を、元気をつけてと栄養剤を持って来てくれた年月です。入院費や治療代まで払ってくださったのです。結婚式に呼ばれ、生まれた子どもの「満夜」の祝福日に招かれ、病んだ方や遭難してご主人とご子息を亡くされたご婦人を慰問し、養老院を訪ねて逆に励まされ、友人のご母堂の葬儀にも参列し、スピーチをした街です。

友人たちの流す涙を見、辛い思いを聞き、喜びが満面にあふれた顔を見、夢にあふれた将来の計画を聞きいた年月でした。学生たちに日本語を教え、訪ねてくる彼らにカレーライスやスパゲッティやラーメンを作り、一緒にテーブルを囲んで談笑した街です。

まさに家内と私の《真性のふるさと》なのです。きっと近いうちに帰郷することができることでしょう。お茶や麺や乾燥アワビ、オーストラリヤから持ち帰ったコーヒーやチョコレート、家内の体力回復のための栄養剤、元気になって首に巻くスカーフなどのお土産を持たせてくれました。物のやりとり以上に、愛や優しさや労りのやりとりにほだされた年月であり、街でした。まさに燦(きら)めくような、と言うべき街と日々なのですから。

そして、中国大陸にも、誇れる「ふるさと」が、《私たちには》あるのです。

(滞在中に下さった省南特産の「柚子youzi/ボンタン」、「ふるさとの海」です)
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