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小学校の頃、私は、友人から、「寛永通寳(宝)」をもらったことがありました。この江戸時代の通貨は、「一文銭」で、「足尾(現在の栃木県日光市)」で鋳造されていたので、通貨の裏に[足]と刻印されてあるのです。
それで、この一文銭を、「足尾銭」とか、「足字銭」と呼んだそうです。よく、『こんなもんじゃあ一文の得にもなりゃあしねえ!』と言ったそうですが、1円ではなく、『一文にもならない!』と言って、自分も使った様な記憶があります。当時、〈一文〉は、どれ位の価値があったのでしょうか。調べてみますと、円に換算して〈12円〉ほどだそうです。
みなさんは使ったことがおありでしょうか。〈一文銭〉ではなく、〈おあし〉と言う言葉をです。よく『おあしが足んなくて、映画も見れやしない!』と言ってるのを聞いらからです。「お金」のことを〈お足〉と言いました。その意味は、「寛永通宝」の裏に、「足」と刻字されていているからだと言う説でです。
また、 お金には、まるで足が生えている様に、どんどん遠くに行って、無くなってしまうからだと言うのが、もう一説です。それにしても、この「足」の付く言葉は、けっこうあるようです。
足し算 1+2=3
蛇足 蛇の絵を描くの足を付けて、余計なもののことを言います。
知足 知るを足る
満足 満ち足りる
不足 足りないこと
人足 働く人のこと ex.川越人足(川の流れに入って客を対岸まで運ぶ人)
下足 下駄や靴など外履き
充足 満ち足りていること
禁足 他に行ったりすることを禁止すること
百足 むかで
自分の「足」を、じっくりと見下ろしてみると、「這えば立て、立てば歩めの親心」で、初めて二本の足で立ち上がって、歩き始めたことを、父も母も兄たちも喜んでくれた日から、南半球のブエノスアイレスやサンパウロ、大陸の蒙古の草原までも歩いたことがあり、〈お足〉を握って〈良からぬ所〉にも入り込んだり、「戦争孤児の援助団体」に〈お足〉を携えて訪ねたことのある、「足」をです。
歩数を足し算すると、どれほどになるのでしょうか。生涯、どれだけの〈お足〉が、どんな目的のために費やされたのでしょうか。人生の最後に、全ての精算をされるのかも知れません。全ての行為の動機や目的や結果だって、損益計算されたりするのでしょう。マイナスとプラスとが、差し引き計算されるのでしょうか。マイナスならば、どう人は補うことができるのでしょうか。これって、けっこう厳粛なことなのかも知れません。
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