歌人

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中学生の時、「白鳥」という名前の同級生がいました。“ はくちょう ”
ではなく “ しらとり ” と読みました。名前とは裏腹で、色黒で男っぽいな顔をしていました。体育大学に行って、卒業してから、高校の教師になったと聞いています。

中一の国語の時間に、

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

という和歌を習いました。「酒仙の歌人」と言われた若山牧水の作です。その教師が、白鳥くんをからかっていたので、懐かしく思い出すのです。この教師は一級上の学年の担任をしていて、そのクラスに、若山牧水の孫がいました。この上級生の担任であるのを、自慢げに話していて、同級生をからかったりで、好きになれない教師でした。

牧水は、『百害あって一利なし!』の酒と旅を愛した「漂白の歌人」だと言われていますから、家族を顧みない気ままな人生を生き、早逝した人だったのです。そんな彼なのですが、その詠んだ歌は、多くの人。に愛されています。牧水が、次の歌を読んでいます。

山越えて 入りし古駅(こえき)の 霧のおくに 電灯の見ゆ 人の声きこゆ

失恋で、憔悴の思いで旅に出て、若き牧水が詠んだものです。私も一度失恋をしましたが、憔悴することも、旅に出ることもなく、あっさりと諦めてしまいました。でも男の執念でしょうか、時々思い出し、彼女を射止めた男を、殴ってやりたい思いを、若い頃に持ちました。これもまた若き日の夢のまた夢です。

感受性の敏感な男の失恋、全てを忘れたくて、牧水は、田舎行きの列車に飛び乗ったのでしょう。たどり着いた鈍行列車の到着駅で、「人の声」を、久しぶりに聞いたのでしょうか、その声を聞いて慰められた思いを、詠んだのです。

芭蕉にしろ、杜甫にしろ、旅を続ける自由と、迎え入れてくれる歌の友がやお弟子さんがいて、それを楽しむことのできる、そんな好い時代だったのでしょうか。彼らは傷付き易い人でもあったのでしょう。その歌は、飛行機や新幹線に乗ってでは、詠み得ない歌なのです。

人の声の懐かしさって、こんな私でも感じることがあります。家内と二人の話に、昨日は長男家族が加わって、交わされる会話、「人の声」が、なんとも言えず懐かしく、暖かく、慰められたのです。石川啄木の歌にも、

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく

標準語しか話せない私でも、子どもの頃に育った村の方言の響きを覚えていて、新宿駅から、鈍行の中央本線の長野か、松本か、茅野あたり行きの列車に乗り込んだら、その方言が聞こえてきて、なにとはなく懐かしさがこみ上げてきて、啄木をした経験があります。

今、『職業は何ですか?』と聞かれたら、寺山修司だったら、「詩人」と応えるのでしょうけど、私は、『歌人です!』と応え様と心備えをしていますが、まだ聞かれたことがありません。上手に歌を詠めませんから、ちょうど好いのですが。

(青森駅の駅舎です)
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