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春になると夏が、夏になると秋が恋しくなる、これが人の常でしょうか。旅に出掛けたくなったり、文学作品に挑戦してみたくなったり、父が『一緒に食べような!』と約束して食べずじまいの土壌鍋が食べたくなったり、一度食べてほっぺの落ちた次郎柿が食べたくなるのです。
作詞が細野敦子、作曲が江波戸憲和、本田路津子が歌った、「秋でもないのに」は、次の様な歌詞でした。
1 秋でもないのに ひとこいしくて
淋しくて 黙っていると
だれか私に 手紙を書いて
書いているような
ふるさともない 私だけれど
どこかに帰れる そんな気もして
2 秋でもないのに ひとりぼっちが
切なくて ギタ-を弾けば
誰か窓辺で 遠くをながめ
歌っているような
恋人もない 私だけれど
聴かせてあげたい そんな気もして
3 秋でもないのに 沈む夕陽に
魅せられて 街に出ると
誰か夕陽を 悲しい顔で
見ているような
空に瞳が あるならば
あかね雲さえ 泣いているだろう
やっぱり〈人恋しい季節〉なのです。美味しい〈キリマンジャロ〉をグラインダーで挽いて、ドリップで淹れたものを、一緒に飲んだ恩師が、懐かしく思い出されてきます。『もう少し濃い方が!』と思いながらも、アメリカンで我慢したものです。実は、私に我慢したのが恩師でした。今日あるは、その〈我慢の賜物〉です。
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愛媛県の田舎町に、上の二人の子を連れて訪ねて、『弟子にしてください!』と頼んだ師匠がいました。なってくれませんでしたが、多くのことを教えてくださった方でした。母と同年齢だったのです。小学校しか出ていないのに、独学の姿勢が素敵でした。
疲れると、決まって『家族で来ませんか?』と誘ってくださった方がいました。20歳違いの同月同日生まれでした。恩師との関係が気まずくなると、そう言って誘ってくれたもう一人に恩師なのです。お子さんたちが、私たちの4人の子に、部屋を提供してくれて、彼らは、どこかに潜り込んで寝ていました。夫人がパン屋の娘さんで、美味しい料理の作り手でした。この方の次男が、日本人の女性と結婚をされ、3人のお子さんを育てておいでです。お父上と同じで、私たちの激励者でいてくれます。
秋でもないのに、人を懐かしく思い出して、本物の秋の到来を待ちわびる、猛烈残暑の日曜日の午後です。
(友人が撮らられた渓流の写真です)
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