今夕、玄関を叩く音がしました。私たちが住んでいるのは四階で(一階部分は、バス通りに向かって貸店舗になっていますので、実際には五階)、二階に住んでいるお母さんでした。『明日は、冬至で、こちらでは、これを食べるのです。作ったので食べてください!』と言って、もち米で作った一口大の餅にきな粉とすりごまでまぶしたものを頂きました。ちょうど<あんころ餅>の甘い和菓子とような感じです。九年目の暮れを、こちらで過ごしていますが、この時期に、こう言った物を食べるのを知って、食習慣が日本に似ているのを、改めて感じたのです。
きっと日本では、今晩は「ユズ湯」に入って、南瓜の煮物を食べて、明日の「冬至」を迎えるのでしょうか。以前日本で住んでいたときに、毎年、この時期になると、バケツ一杯の「ユズ」を届けてくださった方がいました。風呂にユズを浮かせるには多過ぎて持て余して、近所に配ったりしました。家内が人のお世話をする機会が多くて、喜んでしていたからでしょうか、一年中、季節季節に色々な物を頂くことがあったのです。
季節ではないのですが、オートバイの後ろに「鶏の肉」を乗せて、よく、届けてくださった方がいました。スープを作っては、育ち盛りの子どもたちに飲ませたのです。こちらでも、そういった機会が多くて、みなさんの好意を楽しむことができています。病気をすると、「鮑(あわび)」を持ってきてくださる方がいて、まだ冷凍庫の中に残っています。『日本じゃあこんなに食べられないよね!』と驚いたり、喜んだりしているのです。
明日を境に、太陽が帰ってくる、「回復」してくるのですね。古来、西洋では、「冬至の祭り」が盛んだったと聞きます。音楽を奏で、踊りを舞い、ごちそうを作ってお祝いをしたのでしょうか。素朴な民間行事には、生きとし生けるものの願いや喜びや期待が込められているのです。洗濯物を落として、階下の方にとって頂いたことで、交流、行き来が生まれています。外国人へのいたわりも感じて、心から感謝して、夕食の後ですが、小皿いっぱいの<冬至団子>を食べてお腹が膨れてしまいました。 『ユズ湯にも入りたい!』は、ちょっと願い過ぎでしょうか。
(写真は”wm”による「柚子湯」に子供を入れているものです)
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