佳人薄命

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「佳人薄命(美人薄命とも言います)」、美しい人は、とかく苦労や不幸に見舞われて、若くして亡くなるのだという、中国の故事からの言葉のようです。でも美人でも長生きをしている方も大勢おいでですから、きっと、『もっと長生きしていて欲しかった!』という願いを込めての言葉だったのでしょうか。そんなに美人ではなかったとしても、惜しまれる人は、みなさんが、『美人だった!』と言われるのでしょうか。

明治の文壇に彗星のように現れて、二十四歳で亡くなった樋口一葉がいました。彼女の作品の「にごりえ」や「たけくらべ」の作品は高い評価を受けております。一葉が好きだった横山源之助は、彼女を一目見たくて、江戸以来の貧民街に足繁く通っている内に、下町の労働者や職人などの生活を調べて(調べてる間に出会って好意を持ったのかも知れません)、「日本の下層社会」という報告書を書き上げています。この横山源之助は、<ルポライター>の走りだったようです。

一葉の祖父は、甲斐の国の萩原村(現在の塩山、甲州市です)の農民でしたが、学問を好んだ人で、知的な好奇心が旺盛でした。ですから漢詩を読み、和歌を詠んだりした人だったようです。父親も、祖父の影響を受け、江戸時代の末期に江戸に出てきて、ついには「士族」の株を手にした人だったのだそうです。そんな血を受け継いだ一葉もまた、文学を好みました。しかし、その生活は貧しくて、遊郭のある吉原の近くで雑貨屋を営んでいたのです。その頃に見聞きした下町風情を書き上げたわけです。

その一葉が、2004年に、五千円札の肖像に選ばれました。女性として明治の文学界に、大きく貢献したことが高く評価されたからです。明治文壇の雄、島崎藤村や夏目漱石とも出会いや関わりがあったのだそうです。手元に五千円紙幣がありますが、やはり美人、佳人であり、薄明だったのです。一葉縁故の地に、「糸桜(枝垂れ桜)」があって、友人に誘われて観桜に行ったことがありました。淡い色の桜の花びらが印象的でした。

(写真は”wm”から塩山萩原の「糸桜」です)